CODAとして生きてきた咲羅さん【写真提供:咲羅さん】

「私が親を守らなければ」 聴覚障害の親を持つCODA女性 幼い頃に傷ついた周囲の言葉

公開日:2026.08.06  /  更新日:2026.08.06
著者:古川 諭香

CODAとして生きてきた咲羅さん【写真提供:咲羅さん】

CODAとして生きてきた咲羅さん【写真提供:咲羅さん】


 聴覚障害の親を持つ、耳が聞こえる子どもはCODA(コーダ)と呼ばれます。幼い頃から親と社会をつなぐ役割を担うことも少なくなく、通訳や生活のサポートを担いながら育つケースもあります。咲羅さんも、そのひとりです。4~5歳頃から病院や銀行で親の通訳をし、「親を守らなければ」と強く思いながら過ごしてきました。葛藤はあったものの、両親を愛していたという咲羅さん。これまでどんな半生を送ってきたのでしょうか。お話を伺いました。

 ◇ ◇ ◇


言語習得を支えてくれた祖母の電話

 両親に聴覚障害があったため、咲羅さんの家庭では手話で会話をしていました。咲羅さんの言語習得を支えたのは祖母です。祖母は「電話を設置して、毎日話そう」と提案。毎日、電話をかけてくれ、学校での出来事や日常の話などを聞いてくれました。

「祖母と話す中で語彙が増えていき、日本語で話すことにも慣れていきました。祖母が電話をかけ続けてくれなければ、同年代の子たちより言語習得が遅れていたかもしれません。本当に感謝しています」

幼少期の頃【写真提供:咲羅さん】

幼少期の頃【写真提供:咲羅さん】


 咲羅さんが両親を助けるようになったのは、4~5歳頃からです。水が出しっぱなしになっている音や洗濯機の終了音、電話、インターホンの呼び出し音などを伝えることが、幼い咲羅さんの役割になっていきます。

「飲食店での注文や買い物、病院、銀行、役所などでは通訳をしていました。銀行や病院で呼ばれたときには、窓口まで案内していたんです」

 外出中も気が抜けませんでした。後ろから車や自転車が近づいてきたときにはいち早く気づいて危険を知らせ、歩道がない道では、自ら車道側を歩いて母親を守ろうとしていたそうです。

「当時は特別なことだとは思っておらず、私にとっては当たり前の日常でした」

 

「周りとは違う親」でも大好きだった

 自分の家庭は周りと少し違う。そう気づいたのは、6~7歳頃です。友人宅で遊んでいると、別々の部屋にいる親子が顔を合わせずに会話する姿を見たり、当たり前のように大人が電話に出ていたりしたからです。

「私にとって両親は、“聞こえない親”ではなく、“私の親”でした。でも、周りとの違いに気づいてからは、恥ずかしいと感じるようになって。同級生の前では両親と話さないなど、できるだけ手話を使わずに過ごすようになりました」

現在の咲羅さん【写真提供:咲羅さん】

現在の咲羅さん【写真提供:咲羅さん】


 私が親を守らなければ――。そんな思いで両親をサポートしてきた咲羅さんは、いわゆるヤングケアラーでした。一方で、両親は聞こえないという特性に関係なく、娘を深く愛し、大切に育ててくれたといいます。咲羅さんには今でも忘れられない出来事があります。

「ある日、勉強中に突然意識を失って倒れたとき、母親は肩をたたいて反応を確かめ、冷たくなった頬を何度も叩きながら、『死んではだめ』という思いで呼び続けていたそうです。その行動は聞こえる・聞こえないに関係なく、子どもの命を守ろうとする親そのものでした」

 また、父親は、風邪を引いた咲羅さんがリビングで眠ってしまうと布団を持ってきて掛けてくれるなど、体調を気遣ってくれたといいます。

「愛情をたくさん注いでもらい、大切に育ててもらいました。葛藤はありましたが、両親のことは大好きでした」

 

心に刺さった「かわいそう」という言葉と周囲の偏見

 両親が大好きだったからこそ、心に刺さったのは心ない周囲の言動でした。咲羅さんは小学生の頃から周囲の人に、「親があんなんだから、あんたがしっかりしなさい」「親の面倒を見て偉いね」と言われるようになったそうです。

「何度も言われるうちに、『私がしっかりしなければならない』と、自分を追い込むようになりました」

 家族で飲食店へ行ったときには、手話で会話をする自分たちを物珍しそうに眺める視線や、「あそこの家族、手で話している」「かわいそう」という言葉に傷つきました。

「子どもに『見たらだめ』というような仕草をする親もいました。私は『かわいそう』という言葉が一番、心に刺さりました。その言葉を言われるたびに、自分たち家族が見下されているように感じました」

旅先での様子【写真提供:咲羅さん】

旅先での様子【写真提供:咲羅さん】


 また、親戚の差別的な発言も幼い心をえぐったそうです。母親は手話を第一言語として育ったため、文章を書くとき、日本語の助詞「てにをは」の使い方に悩むことがありました。

 母親が一生懸命書いた文章を見た親戚は、「意味がわからない」と笑い、さらに無意識に声が出る父親の真似をしたのです。

「ただ聞こえないだけなのに、どうして笑われたり見下されたりするのだろうと子どもながらに疑問でした」

 こうした経験が重なるにつれ、人前で手話を使うことにも抵抗を感じるようになりました。

「私も変な目で見られたり、からかわれたりするのではないか」

 そんな思いも頭をよぎるようになったといいます。

「相手に悪気があったのかは分かりませんが、両親を否定されているように感じ、とても悲しく悔しい気持ちになりました。また、子どもが親を支えるのが当たり前と思われているようにも感じました。そういう悩みは誰にも相談できず、ひとりで抱え込むしかありませんでした」

 周囲からの差別や偏見に傷つきながらも、必死に親を守りながら生きてきた咲羅さん。後編では、そんな彼女が自分を労われるようになったきっかけや現在の暮らしについてうかがいました。

(古川 諭香)

 

記事のポイント! 

45歳頃から病院や銀行で両親の通訳をし、生活のなかの音や危険を伝えてきた咲羅さんは、「親を守らなければ」という思いを抱えて成長しました。周囲からの「かわいそう」という言葉や差別的な視線に傷つき、人前で手話を使うことを避けた時期もあった一方、両親から注がれた深い愛情や、CODAとして誰にも相談できずに抱えた葛藤を率直に語っています。

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原文掲載元はこちら 

 https://hint-pot.jp/archives/336832

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