19歳で発病、その後うつ病に。どん底にいた私を助けてくれたのは“手話”だった 健聴者も集まる手話アカデミーの創設者に迫る

19歳で発病、その後うつ病に。どん底にいた私を助けてくれたのは“手話”だった 健聴者も集まる手話アカデミーの創設者に迫る

中村藤乃さんの写真
中村藤乃さん(デフリンクス手話協会より提供)

言葉を交わさなくても意思の疎通を図ることができる“手話”は世の中にどれくらい浸透しているのだろうか。

手話と聞くと“ろう者の方が使う言語”という認識を持っている方が多いだろう。しかし、手話はろう者に限らず音声のいらない自由な言語のひとつである。
そう語るのは、手話の普及に取り組むデフリンクス手話協会代表である藤乃さん。

藤乃さんは耳の聞こえない同僚に救われたことがきっかけで手話の世界に恩返しをしようと、手話の普及活動を20年間続けている。
藤乃さんが築いた手話活動の道にはどのようなことがあったのだろうか。

19歳で発病、その後うつ病を発症

中学3年生のとき、たまたま参加した地域の手話サークルに通い始めた藤乃さん。しかしそのときはなかなか上達できなかったという。

そこから再び手話に取り組むようになったのは19歳のとき。シングルマザーの母親に「大学に行きたい」と言うことができず、学費を稼ぐために高校卒業後は自動車工場の出稼ぎの寮で暮らしていた。
程なくして病気がかかっていたと判明。家族の反対を押し切って家を出て行ったため、姉には病気のことを伝えていたものの、母親に言うことはできなかった。職場にも伝えておらず、仕事以外はずっと泣きながら引きこもり、過食嘔吐を繰り返し、うつ病も発症したという。そんななかで軽度難聴も発症し自殺未遂を起こすなど、藤乃さんは「人生のどん底に落ちていた」と当時を振り返った。

その暗闇から唯一救ってくれたのが職場の耳の聞こえない同僚だった。藤乃さんの様子がおかしいことに気づいた同僚は、手話で毎日話しかけてくれたそう。トントンと触れては手話で「大丈夫?」としたり、メモで「ファイト!」と書いてくれたりしたことが藤乃さんの励みに。「自分のことを隠すタイプだったため、異変に気づいてくれたことが嬉しく『自分はまだまだ治る可能性があるのに…!』と思い直すことができました。手話に命を助けてもらったと思っています」と話してくれた。

そこから治療にも専念し、21歳で本格的に手話を学ぶために工場で貯めたお金で埼玉県にある国立リハビリテーションセンターに一浪して入学。そこでは1年間ずっと日本語を話さなかったという。

しかし1年後、病気が再発していることが分かり、躁うつ病も戻ってしまったことから自主退学。自身の身体を優先し治療に専念した。
「英語などはコミュニティや英会話教室があるのになぜ手話はないのだろう。聞こえる人と聞こえない人を結びたい」という夢を19歳の頃から持っていた藤乃さんは、その後2021年にデフリンクス手話協会を立ち上げた。

デフリンクス手話協会とは

デフリンクス手話協会が運営する手話の全国コミュニティ組織「デフリンクスアカデミー」は、発足から2年で会員数500人以上が在籍。「交流会」「発信会」「勉強会」の3つの軸で活動している。

交流会では、月に4、5回オンラインにて2時間程度手話のみで交流をしている。 手話レベルが初級、中級のようにレベル別でグループ分けがされており、4~6人のグループで言葉は一切使わずさまざまな会話を手話で行う。「この手話なんだっけ?」という状況になることによって聞こえない人たちの世界を体感できる仕組みだ。もしわからない単語があった場合は、各自ホワイトボードなどで質問をするそう。
発信会では、自撮りによって撮影された今日の出来事を会員限定のInstagramで発信をしている。

交流会の様子の写真
交流会の様子(デフリンクス手話協会より提供)

コミュニティの参加者はろう者、難聴者だけではなく、健聴者が約6割を占めているという。手話を学ぶ人は耳が聞こえない人に限られているわけではないのだ。
「聞こえる方は『自分なんかが人のためになんてなれるのかな?』という内気で積極的になれない方が多いけれど、手話に置き換えることで自分を表現をしやすくなり、アクティブに活動をして伝えられています」と藤乃さんは話します。

手話について「耳が聞こえない人とのツールではなく、視覚言語として活用できるようにすることを伝えています。手話は言語のうちの一つであり、音声がいらない言語なので便利です。手話はかわいそうだからという偏見ではなく、遠くの人とも会話ができてどこでも使える自由な言語です」と、教えてくれた。

手話によって広がる世界

実際のコミュニティ参加者からは「口では言えなかったことが伝えられるようになった」「自分の第三の場所ができた」と、自己肯定感があがったという声が多く寄せられている。また、手話を通じて失語症の方や知的障害がある子どもたちが自分の思いを表現できるようになるなど、ポジティブな影響を与えているという。

藤乃さん自身も海外の方と手話で繋がった経験もある。実際には日本と海外の手話は共通ではないものの、英語が話せない藤乃さんが海外の方と手話で会話ができたとき、とても感動したという。

「手話はコツを掴めば、約3ヶ月で基本的な会話もできるようになります。コミュニティの確立を達成したからこそ、これからは輪をより大きくしていきたいです」と話してくれた。

手話をもっと広げるために

藤乃さんは今後の手話を広げる活動の目標について次のように話している。

「2025年にデフリンピックが開催されます。外国の方がたくさん来ると思うので、海外の聞こえない人と日本人を繋ぎたいと思っています。国籍を超えて、手話の魅力を伝えたいです。また、子ども同士で手話を教えることがあるように、子どもも手話ができるようあコミュニティづくりとして親が子どもに教えて、子どもが友達に教えるという循環ができたらなと思います。コミュニティ以外の活動としては『手話って難しそう』『別世界』『自分とは関係ない』という印象がまだまだあるので、そこを壊していきたいです」

デフリンクスとしては手話を身近なものにするために今後、手話の検定を作ろうと考えているそう。藤乃さんは子どもでも検定を合格できると意欲が出るため「手話は大人のものではないんだよ」というのを小さいうちから伝えていきたいという。

近年では手話を取り入れたドラマも放送されている。より手話が身近になるように、手話に興味を持ち垣根を超えた繋がりが増えていく世の中を目指す藤乃さん。今後の活動に注目していきたい。

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