RSK山陽放送
2025年5月25日(日) 08:00
ご存じですか?「デフリンピック」
聴覚に障害がある人のスポーツの世界大会「デフリンピック」。耳が聞こえないという意味の英語「デフ」と「オリンピック」を合わせた言葉で、4年に1度の祭典が今年11月、日本で初めて開催されます。

【画像①】
陸上競技は「デフ陸上」といいますが、400メートルハードルの日本代表に、今月(5月)、岡山大学の学生が内定しました。初めての世界を目指す努力の日々を追いかけました。
国立大学から日本代表選考会へ 石本龍一朗選手
今月6日。埼玉県で開催されたデフリンピックの日本代表選考会。緊張感に包まれる会場に、1人の若者がやってきました。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「おはようございます」
雨が降っているにもかかわらず傘を持たず、手荷物を頭の上に載せていました【画像②】

【画像②】
ー傘は?
「天気予報を見ていなくて、持ってきていなくて。いい感じに傘をさしているようになりませんかね?編集で」
ちょっぴりお茶目な、屈託のない笑顔を見せる20代の若者です。
「デフリンピックを決めたいんで。めっちゃ緊張しています」

【画像③】
岡山大学3年、陸上競技部所属の石本龍一朗選手。専門種目は、400mハードル。パワフルなハードリングが強みです。耳には補聴器【画像③】。生まれたときから聴覚に障害があります。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「先天性感音性難聴です。補聴器を外してしまうとぼやける。その音が『あ』なのか『い』なのか認識できない」
ろう学校から小学校の普通学級へ 中学時代は陸上部で県大会入賞

【画像④】
3歳からろう学校で発音方法などを徹底的に学び、小学校からは普通学級へ。陸上をしていた父親の影響で、中学校は陸上部に入ると、県大会で入賞するほどまでに成長しました。

【画像⑤】
そして去年、大学2年生で、転機が。友人から知らされたのが「デフリンピック」の存在でした。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「聴覚障害がある人の五輪みたいな」
「自分が日本代表になって輝く姿を、中学校の時は授業中イメージしていた。日本代表になったら恰好いいだろうなって。あのときのワクワクが蘇ってきた」
すぐに、日本代表を目指すことを決めました。

【画像⑥】
デフ陸上 初出場で優勝!でも「誤算」が...
一般の陸上競技との違いは、スタートにランプが使われること。「位置について、用意、スタート」が、光で示されるのです【画像⑦⑧⑨⑩】。

【画像⑦】

【画像⑧】

【画像⑨】

【画像⑩】
スタートランプにもすぐに慣れ、去年12月のデフ陸上・日本選手権ではなんと初出場にして大会新記録で優勝。新星として名をとどろかせました。

【画像⑪】
しかし、ひとつだけ誤算が…
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「日本一とったら、多少はモテるだろうと思ったんですけど、全く変わらずですね。世界一とったら、さすがに変わるかなと思っているんで」

【画像⑫】
教員目指して ふだんは岡山大学教育学部で学ぶ
大学では、教育学部で社会科の教員免許をとるために学んでいます。グループディスカッションは、相手の唇の動きを見ながら聴き取ります。

【画像⑬】
日ごろから石本選手を応援している友人たち。この日はなぜかスーツ姿でした。
ーなぜスーツ姿?
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「RSKさんが取材に来るよと言ったら、じゃあスーツ着ていくか!みたいな」
(友人)
「テレビ出るっていうから周りも気合入れようと」
「今まで苦労してきたこともあると思うんですけど、それを感じさせないぐらいに、毎日生き生きと過ごしている。僕らも頑張らなきゃな」

【画像⑭】
殴られ蹴られ...なぜ?「ずっといじめられていた」小中学校時代
高校までは、山口県で暮らしていた石本選手。大学入学を機に一人暮らしを始めました。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「僕が悩んでいることは周りの人からは、分かったところでどうにもできない。周りに悩みとか言う必要はないかな、そういうスタンスでずっと生きています」
人には話さない過去があります。

【画像⑮】
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「小学校、中学校とずっといじめられていた。殴る、蹴る、、、悪口も陰口も言われましたし。僕の発音の癖を馬鹿にされたり」
どうすることもできませんでした。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「中学校のときとかエスカレートしていって、本当にやばいなあ…。ギリギリのラインで耐えてきた」
耐えて、生きていました。

【画像⑮】
挑戦して、世界が変わっていった「逃げることは簡単だけど...」
そんな日々を変えようと動き出したのは、自分自身。目の前のありとあらゆることに挑戦することにしたのです。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「天体観測、キャンプ、サイクリング、映画鑑賞、マンガ読んだり旅行も趣味ですし、朝活・朝カフェとか行ったり」
「逃げることも簡単なんですけど、挑戦していくと、どんどん新しい世界が広がる」

【画像⑯】
最初は、無理していたかもしれない。それでもいつしか、本当に前を向けるようになっていました。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「もっと『あんなことやったらよかったな』というのを、絶対に思いたくない」

【画像⑰】
努力に次ぐ努力 研究に次ぐ研究で臨んだ「代表選考会」
デフリンピック選考会・2週間前。
(岡山大学 陸上部の先輩)
「あれかなあ?踏み切りのベクトル?」
「上に跳び過ぎ?」
「1台目はそう」
踏み切る角度や歩数など、細かな違いがタイムに影響するハードル競技。岡大陸上部のチームメイトと動きを確認します。

【画像⑱】
「2台目が詰まっている」
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「あかんなあ」

【画像⑲】
何度も・・・何度も・・・。
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「カメラさんおるって思って、意識してしもうた」

【画像⑳】
そして日本代表に 「過去」も前に進む力に変えて
そして迎えたデフリンピックの選考会。
優勝すればほぼ確実に、代表の座を勝ち取ることができる。序盤からぐんぐんとスピードにのる石本選手。2位の選手に大差をつけ優勝しました。

【画像㉑】
今月15日、デフリンピック・日本代表の内定発表をリモート画面で見つめる石本選手。。。自分の名前が呼ばれました。満面の笑みを見せてくれました。

【画像㉒】
(岡山大学 陸上競技部3年 石本龍一朗選手)
「もうドキドキが…。気を引き締めないと世界で戦っていけへんなあ。プレッシャーですね、だいぶ決まったら決まったで、乗り越えようと思います」

【画像㉓】
世界で、目指すのは表彰台。目標へ向け挑戦の日々が始まります。過去も、プレッシャーも、全てを前に進む力に変えて。
(スタジオ)
デフ陸上、岡山県勢では石本選手のほか、平林金属所属の佐藤選手が走り高跳び代表に内定しています。デフリンピックは11月に東京で開催されます。

【画像㉔】
リンク先はTBS NEWS DIGというサイトの記事になります。