手話『嘘』

なぜろう学校で、手話が禁止されていたのか ―松﨑丈さんインタビュー【前編】

date2026.9.22
writerD4P取材班
categoryインタビュー特集
featureシリーズ「言葉を奪われないために」

自分の思いを伝え、人とつながるために、誰もにとって必要な「言葉」。シリーズ「言葉を奪われないために」では、言葉や言語を使う権利が生きることそのものにどう関わっているのかを考えていきます。

今回取り上げるテーマは「なぜろう学校で手話が禁止されていたのか」。

昨年東京で聞こえない・聞こえにくい人のための国際スポーツ大会「デフリンピック」が開催されたことなどをきっかけに、日本でも手話への関心が高まっています。主に手話を自分の言語として使い生活している方々のことを「ろう者」と言いますが、かつて日本のろう学校では手話の使用が制限されていた歴史がありました。なぜそのような歴史があったのか、今回はその背景について宮城教育大学教育学部教授の松﨑丈さんと考えます。

松﨑丈さん(佐々木想撮影)

松﨑丈(まつざき じょう)さん

宮城教育大学教育学部教授。専門は教育心理学、特別支援教育、障害学生支援。1977年広島県生まれ。ろう者で、先天性風疹症候群による重度の感音性難聴。宮城教育大学大学院教育学研究科修士課程修了後、東北大学大学院教育学研究科博士後期課程修了(博士:教育学)。2005年より宮城教育大学で特別支援学校教員養成に取り組む。

※本編は動画でもご視聴いただけます。松﨑さんの手話によるお話をぜひご覧ください。

なぜろう学校で手話が禁止されていたのか|松﨑 丈さんインタビュー(前編)【言葉を奪われないために】youtu.be



日本手話は日本語とは違う言語?

――手話への関心が高まっている一方で、「手話が独自の言語である」という認識はまだあまり一般的ではないように思います。日本で手話を使って生活しているろう者の多くが使用している「日本手話」は、日本語とは違う独立した言語なのでしょうか?

そうですね。簡単に言うと、日本語は「母音と子音を組み合わせて作る」言語です。

たとえば、
「 雨 」(あめ)[ /ame/ ] の 「め」の母音を、[ e ] から [ i ] に変えると、
「 網 」(あみ)[ /ami/ ] になりますよね。

このように母音と子音の一部を変えると、別の意味を持つ言葉に変わるのが日本語の特徴です。

そういった特徴は手話にもあります。
手話の場合、①手の形、②手の動き、③手の位置を組み合わせて言葉を作るので、この3つのどれかが変わると別の意味を持つ言葉に変わります。

たとえば、『嘘』という単語があります。
これは①手の形は人差し指を立て、②動きは接触、③位置が頬です。

手話『嘘』

この①手の形を「指2本」に変えると、私の名前にもある『松』に変わります。

手話『松』

また、③人差し指の位置を頬ではなく「頭」に変えると、『思う』という意味になり、その位置で②動きを「ねじる」に変えると『考える』に変わります。

このように組み合わせを変えると違う意味の言葉になるという、そういった単語の作り方が手話にはあります。

もう一つ、文法も違っています。日本語の場合は、助詞などを使って単語を組み合わせて言葉を作りますが、日本手話では顔を使った文法表現があります。

たとえば疑問形には、YesかNoで答えが欲しい疑問文(「Yes/No疑問文」)と、説明を求める疑問文(「WH疑問文」)がありますよね。この2つでは顔の動かし方が違います。

手話「疑問形」

例として、「佐藤さん」に関する疑問文を示してみます。まず、「佐藤」の手話はこのように表します。

(編集注:「佐藤」が「砂糖」と同じ読みであることから、「甘い」という手話と同じ表現で「佐藤」を表します。)

手話「Yes/No疑問文」

「佐藤さんですか?」と「Yes/No疑問文」で尋ねる場合、眉が上がったりうなずきがあったりします。

手話「WH疑問文」

一方、「佐藤さんはどこですか?」などと「WH疑問文」で尋ねる場合には、首振りだったり、表情、眉、顎の動かし方が違います。

このように、手話では顔を使って文法や情報の様々な表現ができます。日本語とは、言葉の作り方や文法が全く異なっています。

 

ろう教育で手話が禁止されていた歴史

――手話を使う人々の権利を守ることは、現在では国連の障害者権利条約にも定められています。しかし、かつて日本のろう学校では、手話の使用が禁止されていた歴史がありました。これはどのような経緯で禁止されることになったのでしょうか?

まず、(手話が禁止された)当時の文部大臣だった鳩山一郎大臣が1933年(昭和8年)に行った訓示を読んでもらいたいと思います。

 

「聾児に在りましては、日本人たる以上、我が国語を出来るだけ完全に語り、他人の言語を理解し、言語によっての国民生活を営ましむることが必要でありまして、聾児の言語教育に依る国語力の養成は、国民思想を涵養する所以でありまして、国民教育の根本方針に合致するものと言わなければなりません。全国各聾唖学校に於ては、聾児の口話教育に奮励努力し研鑽工夫を重ね、其の実績を挙ぐるに一層努力せられんことを望みます」

鳩山一郎文部大臣の訓示(1933年、昭和8年)


この中に「国語力の養成」という言葉がありますね。「日本語」ではなく「国語力」という言い方です。

この背景を説明すると、明治時代に入る前、江戸時代には全国に藩が60くらいあり、それぞれに話し言葉も書き言葉もバラバラでした。

明治時代になり、近代国家を樹立するためにこうした藩を統一し、中央集権国家を目指す政治が進められました。そのためには、話し言葉や書き言葉も統一する必要がありましたが、それまでは統一されていなかったので、言葉を新しく作る必要がありました。

ローマ字に統一する、漢字を捨ててカナに統一するなど、色々な議論があったようです。

その議論の中で「国語力」という言葉が新しく作られました。まず、聞こえる人たちに対して、地域によって異なる言葉を統一するために学ぶ必要があるということから始まり、その後、聞こえない人たちも同じように国語力を養成しなければならないという考え方につながっていきました。

そして次に、「聞こえない子ども」も同じく国語力を身につけなければいけないということになり、その方法をどうするかという問題になりました。

明治時代以降、聞こえない子どもたちに対し色々な教育方法が試されていました。最初は手話と「文を書く」という2つの方法から試そうと教育が始まったのです。

その後、口話法 * や声を出してみる練習をする教育が始まりました。しかし、先生たちの間には「(聞こえない)子どもたちが声を使うのは無理ではないか」「発声を習得するのは難しいのではないか」といった懸念から、手話と文を書く方法を使って教えたほうがいいという考え方がまだありました。

* 口話法…聴覚障害者に、相手の口の動きや表情を見て言葉を読み取る読話と、自身の声で話す発語を訓練し、意思疎通を図る教育・コミュニケーション方法

 

一方で、「絶対に口話法の方がよい」と考える人たちもいました。その人たちは一生懸命に口話教育に取り組み、結果として成功した例もありました。そうした成功例について、ろう学校の先生たちに対してだけではなく、文部省に対しても、口話法を推し進める活動がなされました。

その中で、手話は「身振り」であり、先ほど説明したような単語や文法は作れないといったことや、抽象的な考えは難しいといったことが主張されました。音声(日本語)のほうが抽象的なことを思考でき、文法を持つので細かい思考も可能である、といった説明の仕方で口話法が推進されたのです。

文部省がそれを聞いて認める形になり、(先に見た鳩山文部大臣の訓示のように、)聞こえない子どもも口話法を使って日本語力を養成すればいいという指示が広められていきました。

 

記事のポイント!

日本手話は日本語とは異なる文法を持つ独立した言語です。記事では、なぜかつてろう学校で手話が排除され、口話法が重視されたのか、その背景を歴史的にたどります。手話が「身振り」と捉えられていた時代から、1990年代以降、教育現場で徐々に認められていくまでの変化を知ることができます。

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原文掲載元はこちら

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