2025年12月13日(土)20時16分
トニー・ラズロ(ジャーナリスト、講師)
東京デフリンピックの開会式(11月15日) POOLーZUMA PRESS WIREーREUTERS
<11月に日本で初めて開催された東京デフリンピックは驚くほど大きな盛り上がりを見せた。日本人がろう者・難聴者の「ろう文化」を理解するうえでも好成績を挙げたと言えるが、では日本人と日本社会はこれからどう変わるのか>
ろう者・難聴者の国際スポーツ大会である第25回夏季デフリンピックが11月に東京で開催された(写真は開会式)。80カ国・地域から約3000人が選手として参加し、駒沢オリンピック公園総合運動場など都内外の19会場で陸上、卓球、バスケットボール、水泳、柔道など21種目を競った。
これは僕にとってちょっと身近な話。アメリカで親元を離れてから、最初の住まいは偶然、ろう者と一緒のシェアハウスだったからだ。最初は彼と口話(くちわ、話者の口の動きや形を見て言葉を理解する技術)や筆談によってコミュニケーションをしていたが、手話を使うのがろう者の文化だと言われて、こつこつとアメリカ手話の基本を覚えた。
そうすることで、いくぶんろう者・難聴者の「ろう文化(Deaf culture)」を理解できるようになった。例えば、「音ではなく視覚」に依拠した手話では、小さな空間でも複数の対話が共存できる。競技場のような広い空間でも会話が成り立つところは、手話の快適な特典だと感じた。
一方、「ろう者は障害者ではなく、一つの文化的少数者である」という考え方が、聴覚障害がパラリンピックの競技体系に組み込まれない理由でもある。聴覚障害のみではパラリンピックの出場資格を満たさないため、ろう者はパラリンピックではなく、デフリンピックを自分たちの真の祭典として確立した(国際ろう者スポーツ委員会はパラリンピックとの統合を進めていたが、1995年に統合しないことを決めた)。
大会サポートスタッフ3000人の募集に6倍の応募
デフリンピックは決して新しくない。最初の大会は1924年で、パラリンピックよりはるかに古い(第1回パラリンピックは1960年)。今回の東京大会は日本で初開催、そして100周年に当たる大会なので、かなりめでたい出来事だ。一般社会でもかなり盛り上がりを見せた。全日本ろうあ連盟スポーツ委員会が大会サポートスタッフ3000人を募集したところ、その約6倍の応募があった。
デフリンピックはろう者・難聴者が世界トップレベルの競技力を発揮する場。今回、日本は史上最多の51個のメダル獲得(金16、銀12、銅23)。前回2022年大会の記録(計30個)を大きく更新した。
でも、これは単なるスポーツ大会ではない。国内外で大きな社会的影響がある。まず、ろう者・難聴者の可能性を可視化する。大会の観戦や試合結果の公表によって、スポーツ現場での記録更新やハイレベルなパフォーマンスが一般社会で認知され、社会におけるろう者への見方もより前向きなものになる。
また、インクルーシブ(包摂的)社会への貢献も生まれるだろう。今回の大会を契機に、手話対応の強化、教育現場での手話学習などが進み得る。一般市民も共生社会の重要性を体感する機会となる。
健常者にとっての出発点は?
日本社会のろう者・難聴者に対する対応は、既に有望な兆しを見せている。今年初めの報道によれば、横浜市のある警察官が必要性を感じて手話を学び、認定試験に合格した。その結果、勤務する駐在所が神奈川県警として2カ所目の「手話駐在所」として運用されることになった。たった1人の挑戦ではあるが、同じ道を歩もうとするほかの人たちにとって確実に刺激となるに違いない。
健常者にとっての出発点は、まずろう文化があることを認識し、コミュニケーション手段である手話を少しずつ習得すること。その挑戦がしやすくなるよう、社会の各所で「入り口」を整備し、ろう文化へのアクセスをスムーズにすることも必要だ。
日本人のろう文化へのハードルを大きく下げた点も、東京デフリンピックは、かなりの好成績だったと言えるだろう。
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