2026/01/29/ 16:00
大川恵実
やさしくなりたい by AERA

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手話を通じて、聞こえる人と聞こえない人をつなぐ活動を続ける女性がいる。一般社団法人日本手話文化協会の代表理事を務め、教材制作やコミュニティー運営などに取り組んでいる。耳の聞こえる彼女は、なぜ手話の世界に足を踏み入れたのか。「やさしくなりたい連載」第3シリーズでは、誰かに寄り添う人たちを訪ね、「最初の一歩」を考える。AERA 2026年2月2日号より。
【写真】小学校で全校生徒を対象に手話講演会を開く藤乃さん。楽しく学べる場に
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手話で、聞こえる人と聞こえない人をつなぐ活動をしている藤乃さん(37)。日本のろう者が第一言語として使っている「日本手話」の使用者は6万~8万人と言われている。耳の聞こえる「聴者」である藤乃さんが手話を学ぶきっかけになったのは、19歳のときに見つかったがんだった。
「私の人生は19歳で一度終わったんです。今、生きているだけでありがたい。だからこそ、誰かのために生きたいと強く思うようになりました」
沖縄県の豊見城市で育った。道を歩けば、「たくあん食べていきな」と誰かが声をかけてくれるような場所だ。母はシングルマザーで、藤乃さんと姉、弟を育てた。
「私も小学校1年のころから、1時間かけて、弟を保育園に迎えに行ってましたね」
耳の聞こえない先輩が
生活は決して楽ではなかったが、母の口癖は「笑っていなさい」と「与えなさい」。母は毎月献血へ行き、自分が食べなくても、子どもたちへの食事は欠かさない人だった。
その母に「大学へ行きたい」とは言い出せず、学費をためるため、高校卒業後は三重県の自動車工場で期間従業員として働き始めた。
その3カ月後のこと。ちょっとした体の不調を感じた藤乃さんは、「念のため」と思い病院に行った。医師から告げられたのが、がんだった。
「母には心配かけたくなくて言えませんでした。自分でなんとかしなくちゃと、ひとりで背負いこんで、ずっと我慢して……」
手術が必要かどうか、経過観察のための通院生活が始まった。仕事だけは手を抜けないと、毎日工場に通い、ひたすら部品の検品作業をこなす。だが、次第にうつ状態に陥っていった。
遊びにも出かけず、貯めたお金を握りしめ、コンビニで2万円ほど食料を買い込み、家で爆食いしては吐く。仕事中に突然涙がこぼれ、止まらなくなったこともあった。自殺を図ったこともあったという。それでも、家族や周囲に弱いところを見せられない、と思っていた。

昨年10月、府中市立四谷小学校(東京都)で、全校生徒を対象に手話講演会を開いた。手話や指文字など、楽しく学べる場になっている(写真:本人提供)
「最近変だよ、大丈夫?」
ある日、仕事場で藤乃さんにそう声をかけてくれた人がいた。耳の聞こえない50代の先輩男性だった。
「その言葉に、ようやく光が見えた感じがしました。もういいんだ、誰かに話してもいいんだ、みたいな気持ちになって。本当に救われました」
事情を知った先輩は、それからも休憩所などで藤乃さんを見かけるたびに「大丈夫?」と、必ずそばに来てくれた。やり取りは筆談が多く、藤乃さんもその先輩には自分の状態を伝えることができた。病状の悪化もなく、徐々に立ち直っていく中で気がついたのは、「自分の小ささ」だった。
「世の中で言えば、耳の聞こえる私より、聞こえない先輩のほうが“弱い”立場かもしれない。でも、あの時は逆転していた。先輩は部下をまとめ、私だけでなく、みんなを元気にさせているかっこいい人でした」
自分が救われた分、恩返しがしたいと思うようになった。「聞こえる人と、聞こえない人とをつなぐコミュニティーを作ること」が夢になった。期間従業員の契約終了後に、貯めたお金で手話通訳の養成に特化した学校へ進学。手話以外は使わないような日々を送った。
対面指導に限界感じ
だが、卒業間近で持病の悪化が判明した。「なんで私ばかりが……」とふたたびうつ状態に。「他人のために生きる前にまずは自己療養を」と考え、主治医の勧めもあり学校をやめて治療に専念。その後、徐々に病状は回復し、2011年に結婚。2人の子どもにも恵まれた。
ただ、夢をあきらめたわけではなかった。子育てをしながら、歯医者やリサイクルショップなどでバイトをし、聞こえない人を見つけると積極的に手話で話しかけた。手話で話しかけると喜ばれ、藤乃さんの存在は“口コミ”で広がっていった。耳の聞こえない友人を連れて店を再訪する人もいたし、歯医者では、聴覚障がいのある人が、藤乃さんがいる日を指定して予約を入れることも多かった。
藤乃さんは手話対応の環境整備の重要性を改めて痛感したという。「手話をもっと広めていかなければ」と思い、土日を手話普及活動にあてた。「英語を学ぶように手話の魅力を伝えたい」と、対面レッスン教室を始めたところ、すぐに人気に火がつき、予約が3カ月待ちになった。一方で、対面指導には限界があるとも感じていた。
「自分が教えなくても、多くの人に手話を届けるにはどうすればいいのか。どうすれば普及にレバレッジをかけられるのか、と考えました」
藤乃さんは経済学の書籍を読み込み、貯金を切り崩し、専門講座にも通いながら手話教材の開発に取り組んだ。評価の高い教材コンテンツの共通点や、脳科学や行動心理学といった知見を取り入れ、子どもから大人まで場所を問わず、オンラインで学べる体系的なカリキュラムを構築したという。
2020年、19歳のときからの夢を叶えた。聞こえる人と、聞こえない人とが交流できるコミュニティー「手話の島国」を立ち上げたのだ。ここでは、手話学習者のための勉強会や交流会をオンラインで月に数回開いたり、手話を第一言語としている人のための「日本語添削チャット」が24時間利用できたりする。手話は日本語と異なる独自の文法を持つ言語のため、「第二言語」となる日本語の勉強に積極的なろう者も多い。学ぶ意欲の高い人は、このチャットは重要なサポートとなる。
「今、会員は660人ほど。第三の居場所として大事に思ってくれる人も多いです」
寄り添いすぎないよう
現在は一般社団法人日本手話文化協会の代表理事を務め、教材制作、コミュニティー運営、講演会に加え、学校を回って子どもたちに手話の啓発活動も行う。ラジオ番組「藤乃と手話deつながるラジオ」など、メディアを通しての普及活動も増えた。さらに今年は映画や音楽の分野にも発信を広げていく。
手話に携わって、藤乃さんは改めて思うことがある。それは決して、私たちは「助ける」「助けられる」という関係ではないこと。聞こえない人たちが何を必要としているかを見極め、それ以上のことはしない。寄り添いすぎないように距離感を考え、上から目線で分かったふりをしないことが肝要なのだという。
「最初は恩返しと思っていましたが、今は自分に何ができるのかを考えるのが習慣になりました」
つい先日、嬉しいことがあった。痴漢被害に遭い助けを求めていた聴覚障がいのある女性に対し、藤乃さんの教え子が手話で対応し、無事に救助へとつなげたという知らせが届いたのだ。対応した教え子は警察から表彰も受けた。
「切迫した場面でも、手話で意思疎通ができる社会が現実になりつつあることが本当に嬉しい。これまで積み重ねてきた取り組みが報われたと感じましたし、少しずつですが、私が目指してきた社会に近づいているのだと思えました」
(編集部・大川恵実)
※AERA 2026年2月2日号
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