重度の聴覚障害を持ちながら難病児の親に…「お母さん、仕事するんですか!?」と驚く医師にきっぱり返した“夫の一言”

重度の聴覚障害を持ちながら難病児の親に…「お母さん、仕事するんですか!?」と驚く医師にきっぱり返した“夫の一言”

2025/05/10 ライフスタイル

牧野友香子さん

前の記事


今回ご紹介するのは、『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』です。著者は生まれつき重度の聴覚障害がある、牧野友香子さん。現在は、ご主人と2人の娘さんと共にアメリカで暮らしています。

牧野さんがこれまでの人生で一番大変だったのは、「長女に難病があったこと」だと言います。家族の支えもあり、長女も大きな手術を乗り越え、そろそろ職場復帰を考えたいと思っていた矢先、医師から言われた衝撃的な言葉についてご紹介します。その経験を通し、社会のサポートが整っていないことを痛感したという牧野さん。今につながる出来事とは……?

「赤ちゃんに何かあるかも」最悪の事態も覚悟したが…“耳の聞こえない私”が我が子と対面するまで


『耳が聞こえなくたって』特集記事はこちら

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』

 

はじめに

私は、生まれた時から耳が聞こえません。補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえません。補聴器を外すと、飛行機の轟音(ごうおん)も聞こえるか、聞こえないかくらい。

会話は手話ではなく、「読唇」といって相手の口の動きを読み取って理解し、自分自身の発音でことばを発する「発話」なんです。

大阪で生まれ育った私は、ろう学校には行かず、幼稚園、小・中学校は地元の学校に。天王寺高校から、神戸大学に進学し、就職先は第1志望のソニー株式会社へ。趣味の合うファンキーな夫と結婚し、めでたく2人の子どもにも恵まれ……と文字で書くと順風満帆なようですが、聞こえない私の人生、そんな順調にいくわけがありません。

一番大変だったのは、長女に難病があったこと。聞こえない中での2歳差の姉妹の育児、仕事をしながらの病院通い。でも、複数回にわたる手術に入院と頑張る長女。そして、どうしても我慢の多くなる、“きょうだい児”の次女のしんどさを思うと、親として弱音を吐いてばかりはいられませんでした。

そんな中で長女が2歳、次女が0歳の時に、難聴児を持った親御さんをサポートする「株式会社デフサポ」を立ち上げ、今では子どもたちを連れて家族で渡米。アメリカで生活をしています。いろいろな意味で“規格外”の私ですが、いいこともそうでないことも含めて、おもしろく読んでいただけたらうれしいです。

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』「はじめに」より一部抜粋


「お母さん、仕事辞めますか? 」「僕が専業主夫になります」

長女は常に病院に通うような状態だったのですが、その合間にみんなと同じように定期検診もありました。強く記憶にあるのは、6カ月検診の時。他の赤ちゃんもたくさん区役所に来るんですよね。「みんなの赤ちゃんは健康でいいなあ……」という思いが、どうしてもぬぐえなくて。

周りの赤ちゃんは寝返りしたり、健康そうなのに、我が子はいろいろ大変……。それを見るのもつらいし、その事実を突きつけられるのもつらい。また、周りは遠慮して、長女の病気についても聞いてこないですし、かといって自分から言いまくるのも気を遣わせそうだし。

「検診になんて行きたくない、人に会いたくない」八方ふさがりのつらさでした。児童館などの人が集まる場所には、一度も行かずに終わりました。

私は育休を取っていたのですが、首の大手術も終え、そろそろ保育園のことや職場復帰を考えたいなと思うタイミングが来ました。当時住んでいたところはまさに保育園の激戦区。生後すぐに保育園を見学して、生まれた年の秋には願書を出さなくてはいけなかったのです。

そこで、医師に保育園のための診断書を書いてもらえないかと相談しました。
すると、
「お母さん、仕事するんですか!?」
……えっ?
「この子は、難病があるから、どういう発達をするかわからないし、家で見てあげないと」
……ええっ!? 保育園はナシなの⁉ 私、仕事辞めないといけないの!?
 いろんな思いが頭の中を駆け巡りました。

「えーっと、……そしたら、夫が仕事を辞めます」
と、私の口がつい……。
突然そう言った私に、夫は「ええ! 俺!?」と言いながらも、
「そうですね! 僕が専業主夫になります」
と言い切りました(この時ばかりは、我が夫に改めて惚れ直しました)。

すると先生はあわてて、
「え、旦那さんが仕事を辞めるんですか? それは大変ですよね。ちょっと別の方法も考えてみましょう」
と、一気に風向きが変わりました。

家族四人でぶどう狩り


紆余(うよ)曲折あったのですが、結果的に子どもを通わせたいと思える保育園が見つかり、そこに行かせていただくことができました。長女と次女と8年間お世話になったのですが、先生方には感謝しかありません。その保育園に通えたことは、本当にいい思い出です。


障害者も、障害児・難病児の親も、働きやすい世の中に

当たり前のように母親が仕事を辞めると思われていたことに、驚くと同時に残念な思いをしましたが、昔に比べるとその風潮は変わってきたと感じます。とはいえ、障害児・難病児の母親は育児や療育に専念すべきという考えはまだまだ根強くあるような気がします。そして、社会のサポートが整っていないことも痛感しています。

また、障害者本人がバリバリ働いて家計を担うことに関しても、理解が得られないことが多いと感じています。私が立ち上げた「デフサポ」では、親が仕事を辞めずにサポートを受けられるようオンライン教育や通信教育を進めていますが、“世間の目”に悩む親御さんは多くいます。デフサポとして、また難病児の親として、そんな空気も少しずつ変えていけたらいいなと思っています。

実は、デフサポとは別に、「株式会社MASS DRIV ER(マスドライバー)」というマーケティングの会社を夫と一緒に立ち上げています。
 
この会社では、オンラインで自由な時間に働くことができるような体制にしているため、障害児や難病児を持った親御さんや、障害当事者も採用しています。シングルマザーもいます。

もちろん、あくまで株式会社なので“どんなスキルを持っているか?”が大事ですが、障害者本人や、家族に障害者がいる、いないにかかわらず、できるだけ誰もが働きやすい世の中になるように少しでも貢献していけたらと感じています。

その根底には、私たち夫婦が難病児の親であり、私自身が障害当事者ということがあります。


今回紹介したのはこちら

耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方 単行本 – 2024/7/2 牧野 友香子 (著)

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』
牧野 友香子 著/KADOKAWA

ご購入はコチラ(Amazon)
【著者プロフィール】牧野友香子(まきの・ゆかこ)
1988年大阪生まれ。生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。幼稚園から高校まで一般校に通い神戸大学に進学。大学卒業後、一般採用でソニー株式会社に入社。難病を持つ第一子の出産をきっかけに株式会社デフサポを立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は、仕事の都合もあって、家族でアメリカに暮らしている。また、YouTube 「デフサポちゃんねる」は12万人の登録者数を誇る(2024年6月時点)。


こちらの記事もおすすめ


「耳が聞こえない」を言い訳にしない――重度の聴覚障害を持つ女性が、幼少期に親から言われていたこと

「なぜ私だけ…」50万人に1人の難病の子を出産した聴力ゼロの女性を“絶望から救った”夫の一言


リンク先はwith classというサイトの記事になります。


 

Back to blog

Leave a comment