自由と情報
年末から、約3か月少しが経ちましたが、
新顔のウイルス登場で為替も街中も変化が激しく
皆さま少しお疲れではないでしょうか?
私は情報疲れを感じてTVをつけるのをやめ、少し楽になりました。
シリアで起きている難民問題や、紛争エリアの市民の皆様に比べたら
水も飲めるし、屋根のあるところで寝られるし、
弱音を吐いている場合ではないのですが。
焦ってもどうにもならないので、今回のウイルス騒動で考えた
「『自由』と『情報』について」を整理したいと思いました。
JINOが行っていきたい、聞こえの拠り所としての情報発信についても
大いに関係のあることなので、お読みいただいた皆様にも出来ればご自身のお考えを、
コメントなどでご意見としていただけたら嬉しく思います。
<選択の自由があるのは恵まれていること?>
私たちが住んでいる日本では、一応ではありますが
私たち国民が何かを決定する際に、
本人に「選択すること」の自由が与えられています。
(例えば一子相伝の伝統芸術のお家元に生まれてしまえば職業選択の自由が実質与えられないなどの例外もありますが、多くの人にはある、ということで理解しています。)
人の移動の制限や行動範囲の把握の必要性に迫られた場合でも
今のところ(法案と政府次第ですが)その権利を強制的には奪われません。
(出来るようになっちゃいましたね。3/13 16:40分の速報。)
どこに住む・なんの仕事を選ぶ といった大きな選択だけではなく
私たちの毎日は、何時に起きる、何を食べる、何に乗る、聞く、見るといった
選択の連続だと言われています。
スティーブジョブズが、毎日洋服を選択する時間がもったいないという理由で
毎日同じコーディネートで出かけていた、というのも有名な話ですが
私たちは1日に、意識せずにしているものも含め何回「選択」をしているでしょうか。
色々な説があるようですが、論文で発表されているものには
35000回~60000回というびっくりな数字がありました。
こんなに判断しているってすごいなあ~と思う反面、
意識していたら、とてもじゃないけどこんなに選択したくない、と感じます。
選ぶのって、楽しいようで疲れるときがありませんか?
わがままなのかもしれないですが、私は選択肢が全くないのも自由がなくて嫌ですし、
だからと言って選択肢がありすぎるのも疲れてしまいます。
皆さんはいかがでしょうか?
<何かを選ぶときにどうしていますか?>
例えば、久しぶりに会うお友達とご飯を食べようと決まったとします。
お店を選ぶとき、皆さんはどうされていますか?
例えばTVを買い替えようと思ったときは?
私たちは山のようにあふれる商品から、自分の欲しいものを具体的にして
商品ごとの違いを知り、自分の予算や都合に合わせたものを
選んでいくことがほとんどかと思います。
先に挙げた例でいえば、ご飯を食べるときには
「何が食べたいか?」「その場合のお店はどこか」
「その違いは何か」「予算・駅からの距離・雰囲気・予約が取れるか」
といった複数の条件を整理してお店を選ぶと思います。
TVの例でも同様に複数の条件を整理して、
購入するものを決めていらっしゃらないですか?
その条件の優先順位が「予算」なのか「デザイン」なのか
といった差はそれぞれだと思います。
「選択の科学」(邦題:原題はThe Art of Choosing)を書いた
シーナ・アイエンガーさんの社会実験でとても有名な「ジャムの法則」があります。
アメリカの高級スーパーマーケットの売り場で、
24種類のジャムと6種類のジャムを並べ、それぞれの売上げを比較しました。
結論だけお伝えすると、24種類のジャムを売り場に並べた時の売り上げは、
6種類のジャムを並べた時の10%にしか達しなかったという実験です。
この結果と、彼女の様々なリサーチの結果、選択肢が多すぎると人は逆に決定できず
選択は無条件に「善い」ものではない。と結論づけられています。
<最良だと思える選択をするためには?>
とはいえ、全く「選択がない」状態を「善い」とする人は少ないと思いますし
「選ぶ自由」を失うのももったいない。
「自由」は過去の歴史の中で、人が血を流してでも欲してきたものですので
当たり前に思わず大切にしたい権利の1つだと思っています。
前述のシーナ・アイエンガーさんは盲の方です。
目が見えないことで、職業や出来るスポーツなど、
選択肢の幅は狭くなるという事実に対し不幸だとは思わない
とおっしゃっていて、彼女が「選択」について研究を始めたきっかけとして
著書内で語っていたのが
「目が見えなくとも見えるものに気がついた。それが『選択』だった」。
とされています。
(ただしそれは生まれた国によって異なってしまいますが。)
そして「選択肢が狭められても選択の『幅』は自分で広げることが出来る」
とおっしゃっています。
この一言がとても大切だと思っていて、聞こえに課題を持たれた方も、
同じように考えていただけたら嬉しいなと思っています。
障害をもっている・もっていない に関わらず
個人の能力や機会、環境によって、選択肢自体は限られた物になるかもしれませんが
目の前の選択肢を吟味し、充実させて使いこなすことは、
個人の工夫によって可能になります。
そのためには何が必要か。
「最良だと思える選択」には自分の頭で物事を複数の側面から考える力と、
物事を、自分の決めた価値で測る力が大切になると考えています。
蛇足ですが、ウイルスについてもTVで専門家として出てきて
適当なことをおっしゃっている人の言葉を鵜呑みにせず
その人の背景やその人がその道で本当に通じている人なのかを判断する力をつけないと
マスメディアに踊らされて無駄な体力と気力を消費してしまうので気をつけたいですね。
(科学者が信頼に足るか判断する際に参考になる良い記事があったのでご参考まで)
<最良だと思える選択は一人で出来る?>
そうはいっても、自分一人で世の中すべての事を
知り尽くして考えることはできません。
そこで、その道に通じる人の意見を参考にしたり、
専門知識を増やしたりすることで
自分以外の人やモノ・コトのせいにせず、
自分を満たす選択をすることが出来ると考えています。
食事に行く場所を探すときに、口コミサイトを調べたり、食に詳しい人に相談したり、
TVを買う時に電気店の詳しい人に解説をしてもらったりするのと同じように
聞こえにくい、聞こえ辛いことに対しても、その道に通じた人に頼ってもらえたら、
こんなに嬉しいことはありません。
また逆に私たちも、専門家として相談をしていただける時に
その人が最良だと思える選択をしていただきやすい様に、
サポートをする必要があります。
そのために毎日、世界中の聴覚の情報を集め、毎月発表される論文を読み、
世界中の補聴器や人工内耳を使う人の生の声を徹底的に調べています。
そういう点では情報が集めやすくなった良い時代です。
JINOでは例えば、補聴器をつけようか迷っていらっしゃる方が相談に来てくださったら
お耳のお力を確認させていただいて、その方の暮らしや状態をお伺いした上で
世界的に開発力の優れた6つの会社の製品から2~3種を吟味して選択肢をご用意します。
そして、その方のお耳の力と効果を測らせていただいて
効果の出るものを実際に試して使っていただくようにしています。
聞こえたい、というご希望のゴールに一緒に辿り着く、最良の選択のために
客観的に数値で効果のある製品を選び、その上で主観的にも満足していただけるよう
対応していくのが私たち専門家の仕事だと考えています。
毎日疲れてしまうほど沢山の情報を選んで暮らしている中で
何かを善くしたいと思って、選択をしているのと同じように、
聞こえに課題を持つ方にとって、最良の選択だ と感じられるような
選択を支えていける存在でありたいなと考えています。
そしてその判断に必要となる情報を発信して、
その情報を「最良の選択のために」選択してもらえるようになりたいです。
新顔のウイルスのおかげで、選ばれること、選ぶこと
最良の選択とは何か ということを再度考えるきっかけをもらえました。
亡くなられてしまわれた方や、大事な方を失った方の悲しみが
癒えることを祈るとともに、今現在最前線で戦っていらっしゃる方と
その大切な方に思いを馳せ一日も早く日常が取り戻せるように、
それまでは自分に出来ることをコツコツと
日々コツコツと紡いでいきたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました!
LMH 郷司