知ってほしい「手話は言語」ということを 市町村で初の「手話条例」制定した石狩市 10年で何変わった?

知ってほしい「手話は言語」ということを 市町村で初の「手話条例」制定した石狩市 10年で何変わった?

北海道石狩市が、全国の市町村で初めて「手話を言語」とする条例を制定してから今月で丸10年が経ちました。

その後、同様の条例は全国に広がりましたが、まだ多くの課題が残っています。

小学6年生:「将来の夢はユーチューバーになること」「夢は看護師」「幸せになること」「プロ野球選手」。

子どもたちが手話で伝えているのは、将来の夢。

この日、石狩市の小学校で手話の出前講座が開かれていました。

手話通訳者:「手話は特別なものではなく、皆さんが使っている日本語と同じようにろう者・聞こえない人が使っている言葉なんだということをしっかりと覚えてほしい」。

小学1年生から中学3年生を対象に、年に2回開いている出前講座。

手話の大切さや魅力を子どもたちに伝えています。

講師の中には、耳が聞こえないろう者もいます。

石狩聴力障害者協会・杉本五郎会長:「私は聞こえないので声だけだと伝わらない。手話を表現してくれるとうれしい」。

この日のメインの講師は、石狩聴力障害者協会で長年、会長を務めてきた杉本五郎さんです。

今から10年前の2013年12月、石狩市は「手話条例」を制定。

手話を日本語とは異なる言語として認め、当たり前に使われる社会を目指しました。

全国の市町村では、初めてのこと。

杉本さんは、ろう者の立場から条例制定に尽力した中心人物でした。

杉本五郎会長:「大変うれしいです。将来いつでもどこでも誰でも手話で会話ができる。そういった社会になればいいなという理想がある」。

そのためにも、まずは手話に触れてほしい。

条例が施行された2014年以降、1800回以上の出前講座が開かれ、述べおよそ5万7000人が手話を学んできました。

子ども:「杉本先生が手話をしているのをちゃんと聞き取れたり、手話がこういうふうなのかとか、仕事をどうやっているのかとかちゃんと教えてくれて分かりやすかった」。

杉本五郎会長:「昔はばかにされたり、からかわれたりしたことがあったが、今の子どもたちはすごく興味を持って聞いてくれる。とても目を輝かせて聞いてくれるのがとてもうれしい」。

石狩市が毎月発行している広報誌にも特徴が。

表紙に手話単語を掲載し、市民が自然と手話を学べる環境を作ってきました。

加藤龍幸市長:「条例はただ単に作ったからいいということではなくて、いかに実践、具現化をするかが大事。小さな時から手話を身に着けるという意味では、徐々に市民の方たちに手話が身近なものであるという部分が浸透しているのだろうなと思う」。

条例制定から10年。今月16日、石狩市で記念イベントが開かれ、東京から招かれたろう者の講師が手話の奥深さを伝えました。

森田明さん:「手話は全体で表さなければならない。手の動きだけではだめ」。

手の動きだけでなく、首や肩などの動きも合わせて伝える手話。

例えば「うなずく」という動作も、大事な要素だと言います。それが分かる、2つの手話を見せてくれました。

「友達の車に乗る」。
「友達が車に乗る」。

この違い、分かりましたか?

森田さん:「うなずくところが違うんです。うなずく場所が変われば意味が変わる」。

「友達」「車」の後にうなずいて「乗る」と表現すると、「友達の車、に乗る」という意味に。

「友達」の後にうなずいて「車」「乗る」と表現すると、「友達が、車に乗る」という意味になります。

このように、小さな動きや表情も、手話では重要な役割を担っているのです。

石狩市民:「ここまで違うものだとは実は知らなかった。本当にちょっとした目線や表情というちょっとしたことが、すごく大事だというのがすごくよく分かった。」「10年前と比べたら今、手話がだんだん上手になってきて、コミュニケーションがスムーズにできてとてもうれしい」。

石狩聴力障害者協会・杉本五郎会長:「10年を迎えてあっという間に感じている。ろう者の言語である手話が禁止されてきました。苦しい生活が長く続いてきた。でも条例で手話が言語と認められて生き返ったような気持ち」。

「手話条例」はその後、全国へと広がり、これまでに500を超える自治体が制定しました。

しかし、課題もあります。

手話条例がある札幌市と帯広市がそれぞれ行った調査では、8割以上の市民が条例を知らないと回答。

認知不足が浮き彫りとなりました。

石狩市民:「夫もろう者で夫婦ともに聞こえない。もし何か災害が起きた時に、情報がないと不安」。
当別町民:「例えば公共の施設で、どこでも手話が使えないというのは、日本はすごく遅れていると思う」。

石狩市でも、どこでも手話が使えるという状況には至っていませんが、市役所をはじめ、病院や銀行、郵便局など13カ所にタブレット端末を設置し、必要に応じて遠隔で手話通訳のサービスを提供しています。

さらに、市民の命を守る消防署でも…。

石狩消防署では、2014年からコロナ前まで、全職員を対象にした手話の研修会を開いていました。

今も日々のミーティングの時間を利用して、自主的に手話の練習を続けています。

その結果、ほとんどの職員が手話を使って簡単な会話ができるようになりました。

石狩消防署・赤岩崚汰さん:「聴覚障害者だという情報を聞いて、実際に『私は救急隊です。どこが痛いですか』と手話でやった経験はあります。最初は不安そうな顔をしていたけれども簡単ではありますが、手話をすることで表情が少し和らいだのかなと」。

「手話は言語」。全国に先駆けて条例を制定してから10年。

小学6年生:「好きな食べ物は飴」。「好きな食べ物はイチゴ」。

その取り組みは、今少しずつ芽吹いています。

石狩聴力障害者協会・杉本五郎会長:「種を一生懸命まいて、まいて、まいて。その間は見えなかったが、時間が経って少しずつ芽が出て花が咲いているように感じられてうれしい。私たちの生活が、いつでもどこでも手話を使って少しでも構わないので会話程度ができるような町になると、さらに私たちは暮らしやすくなるのでいいなと思う」。

リンク先はHTBというサイトの記事になります。
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