
誰でも「こんなビジネスパーソンになりたい」とイメージを膨らませることはあっても、「こんな70代、80代になりたい」と考えることはないかもしれない――。
インクルーシブ(inclusive)とは、「全部ひっくるめる」という意。性別や年齢、障害の有無などが異なる、さまざまな人がありのままで参画できる新たな街づくりや、商品・サービスの開発が注目されています。
そんな「インクルーシブな社会」とはどんな社会でしょうか。医療ジャーナリストで介護福祉士の福原麻希さんが、さまざまな取り組みを行っている人や組織、企業を取材し、その糸口を探っていきます。【連載第19回】
70代の自分を想像できるか
いま、東京・竹芝のダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森®」(一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ、代表理事志村季世恵)で、体験型イベント「ダイアログ・ウィズ・タイム(以下、ウィズ・タイム)」が開催されている。
このイベントは、いくつかの体験を通して“年をとるというのはどういうことか”をイメージしながら、「いまの自分」「昔の自分」「未来の自分」の生き方について考える。
アテンドと呼ばれる高齢者が参加者6人を案内し、イベント体験のなかで対話を促す。約1時間半の体験では、お互いの気付きを共有する時間も持てる。
アテンドは、70歳以上のさまざまな人生経験を重ねた11人が交代で務める。このイベントでは参加者だけでなく、アテンドも登壇するたびに気付きが増え、「自身が変化する」ともいう。

そこでアテンドの1人、大橋セツ子さん(81歳、アテンド名はセッちゃん)に話を聞いた。
77歳女性の新たなチャレンジ
大橋さんは、2019年、日本で初めてウィズ・タイムが開催されたとき、アテンドを務めた。
当時77歳で、着付け教室の講師をしていた。アテンドになったきっかけは、知り合いが同法人のアテンドスクール(アテンド候補の育成研修)に推薦したからだった。その理由は「すごくお元気で、着物姿や所作が美しく、はつらつとしていたから」という。5日間のアテンドは「無我夢中でした」と振り返る。
今年、ウィズ・タイムが再開されることになったことから、前回のアテンドだった大橋さんにも声がかかった(*)。年々忘れっぽくなってきていることを自覚していたが、再び、アテンドスクールの研修を受けることにした。
昨年秋から半年間におよんだ研修では、「LGBTQ+」や「困窮家庭の子どもたち」について講義を聞いたり、「障害の有無に関係なく歌えるコーラス」の取り組みを通して障害者について考えたりした。
大橋さんは研修の半年間に、自身が変化していることに気付いたという。きっかけは、イベント内で参加者に自己紹介したときだった。
研修では、「自分の人生をどのように話せば、たった3分でも相手にインパクトを残して伝えることができるか」を、コピーライターの講義などから学んだ。大橋さんは話すことがあまり得意ではなく、ほかのアテンド仲間や家族とともに何度も練習を重ねた。

大橋さんはこう話す。
「私はこれまで自分の人生について、周囲の人に話してきませんでした。未婚で一人娘がいることは話しても、生い立ちや自分の気持ちを言葉にすることは避けてきたところがあります。でも、研修を通して自分の体験を伝えたくなって……。話したら気持ちが軽くなり、生きることが楽になりました。80代になって、ようやく鎧を外すことができたのです」
花柳界で生まれ、未婚の母に
大橋さんの実家は芸者の置屋だったことから、花柳界で生まれ育った。
正月に着る芸者の衣装に憧れて、中学を卒業後すぐに踊りや三味線、唄などの芸事を身に付けて、18歳で半玉(はんぎょく・見習い)、20歳で芸者に。芸者として順調だった頃、好きになった人の子どもを身ごもり、悩んだ末、未婚の母を選んだ。
ウィズ・タイムのなかでは、そのときの気持ちをもっと詳しく、率直に語っている。参加者はその話に心を動かされ、今度は自分の半生について語りだしていく。
参加者は大人が多いが、小学生が親と一緒に体験することもある。大橋さんは多世代の参加者から日々、共感したり楽しくなったりする話を聞きながら、驚いたり感心したりしている。
「毎回、参加者といろいろな話をするからなのか、帰宅すると、娘が『目がキラキラしているよ』と声をかけてくるんですよ」と、大橋さんは笑う。
同法人では、ダイバーシティやハンディキャップへの理解の向上を目的に、ウィズ・タイムのほかにも2つの体験型エンターテインメントを主催する。
1999年から開催している「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、イン・ザ・ダーク)」は、照度ゼロの真っ暗闇の中で視覚障害者のアテンドのもと、非日常体験をしながら、グループメンバーと対話をする。すでに、国内で24万人以上が体験した。
2017年から開催する「ダイアログ・イン・サイレンス」は、音を遮断するヘッドホンを装着しながら、聴覚障害者のアテンドのもと、音や声を出さずにコミュニケーションする方法を見つけ出す。
ドイツ生まれのエンターテインメント
これらのダイアログシリーズは、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケが1988年に発案した。
ハイネッケの父親はドイツ人、母親はユダヤ人だったが、幼い頃、彼は両親ともドイツ人と聞かされていた。このため、13歳で母親がユダヤ人だと知ったとき、大きなショックを受けたという。
それ以来、ハイネッケは民族や文化が異なるだけで差別が起きることを考えるために、哲学を学んだ。そのとき、哲学者マルティン・ブーバーの著書『対話の哲学』から、「学ぶための唯一の方法は遭遇することである」という一節に出会った。
日本にダイアログシリーズを導入した志村真介さん(62歳)は、こう説明する。
「対話とは、対等な立場で話をすることです。私たちは区別したり、差別したり、整理したり、分類したりすることは得意ですが、対話のスキルは学んできていません。そんな社会で対話をするためには、強制的に対等になるシチュエーションに入ってみる必要があります」
感覚を制限された空間に入ると、「同じ時間に、同じ場所にいる相手に、興味や関心が向く」という。
志村さんは、「疑似体験からだけでは、私たちはかわいそうだから手伝うという発想になります。一方、対等な立場で対話を重ねることで、相手への関心が高まり、これまでの固定観念や既成概念が変わるきっかけを作ります」とも話す。

今回のウィズ・タイムでも、違う世代がイベントを通じて交流することで見えてくるものがある。志村さんは「三世代の場合は物差しが100年分になる」と表現する。その結果、「本質的なものの見方に到達できるようになる」とも言う。
ドイツでは、小学校教育の中にこのダイアログシリーズのプログラムが取り入れられているそうだ。ウィズ・タイムでは、終了後、子どもたちが会場内で祖父母に電話する姿が多く見られるという。いつもあまり話をすることがない祖父母に思いを寄せるからだろう。
「高齢」を新しい「価値」に
このイベントの興味深い点は、これまでネガティブにとらえられていた「高齢」を新しい「価値」に転換していることにある。
同法人はアテンドに報酬を支払っている。報酬を得ることは、年金をもらうこととは気持ちがまったく異なるそうだ。「
私の義母もアテンドをした経験がありますが、給料が出た際は、私たち夫婦を青森の桜を見に連れていってくれました」と、志村さんは振り返る。
さらに、「障害」を新しい価値に変えて商品を作り出す企業とも提携している。
例えば、イン・ザ・ダークの視覚障害者のスタッフは、指先などの感覚がとても優れている。そこで、この指先で触るスキルを今治タオル工業組合(愛媛県)の「今治タオル」の上質な触り心地の向上に役立てたり、漆とロック株式会社(福島県)の漆器「めぐる」のお椀や匙(さじ)作りに生かしたりしている。
志村さんはダイアログシリーズのイベント開催を通して、どんな社会を目指しているのか。
「これまでの社会では、同じ形と色のレンガが積み重ねられ、定形外のレンガは外されてきました。でも、本当は城壁のように形や色が違うものが重なっているほうが、崩れにくく強靭さがあります。それが、それぞれの多様性を受け入れた、ゆるやかなつながりのある社会ということですね」
このイベントの発想の転換、および志村さんの社会に対するビジョンに筆者は強く共感する。
*アテンドスクール募集はホームページで公募している。

福原 麻希 医療ジャーナリスト
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