聴覚障害者の意思疎通、実は様々…デフ女子バレー代表支える手話通訳士「両親との経験」武器に

聴覚障害者の意思疎通、実は様々…デフ女子バレー代表支える手話通訳士「両親との経験」武器に

2025/11/22 17:44
滝川乃彩

 聴覚障害者のスポーツ大会「デフリンピック東京大会」(読売新聞社協賛)の女子バレーボール日本代表チームで、横浜市出身の岡田直樹さん(43)が手話通訳として活動する。聴覚障害のある両親のもとに生まれた健聴者の岡田さんはこれまで、聴覚障害者の様々な意思疎通の手段を会得してきた。その経験がチームの大きな武器になっている。(滝川乃彩)


「それが当たり前の環境だと」


試合開始前、選手たちとハイタッチする岡田さん(右)(20日、東京都世田谷区で)

試合開始前、選手たちとハイタッチする岡田さん(右)(20日、東京都世田谷区で)


 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館(東京都世田谷区)で20日に行われたアメリカ戦。プレー中は通訳席で待機する岡田さんが、タイムになると監督や選手らと円陣を組む。「低いトスを上げて素早く攻撃」と監督が指示を出すそばから、次々と手話で訳していく。試合は日本が3―0のストレートで快勝。岡田さんは試合後、「一戦一戦、勝っていく手助けができれば」と笑顔で語った。

 聴覚障害者の意思疎通は、手話やジェスチャー、筆談など様々。岡田さんは、口の形を読み取る「口話」、家族にだけ通じる身ぶり手ぶりの「ホームサイン」、日本語の語順に合わせて手話単語をつなぐ「日本語対応手話」を使って、幼少期から両親と会話してきた。「ただいま」の代わりに電気を点灯させたり、離れた場所から声をかけたい時はタオルを投げたり。「それが当たり前の環境だと思っていた」


「なぜうちの両親は」


 思春期になると、「なぜうちの両親は聞こえないのか」と考えるようになった。口話では思いを伝えきれず、「両親とは深い話はできない」と決めつけた。大学選びに悩んでいた頃、聴覚障害も影響して大学進学できなかった父に「何もできないじゃないか」と強くあたったこともあった。

 転機は大学2年の時、聴覚障害者の後輩との出会いだった。両親と日本語対応手話で話していた経験から通訳を買って出たが、後輩が使うのは独特の文法を持ち、主に生まれつき耳が聞こえない人たちの間で使われてきた「日本手話」。全く理解できず、得意げになっていた自分を恥じた。

 日本手話を学ぶために手話歌の団体に所属した。徐々に使えるようになると、「手話を使う仕事がしたい」と考え、手話通訳者の認定試験に合格。大学卒業後、社会福祉協議会に就職した。

 かつては口話が中心だった両親とも、手話を使っての会話が増えた。両親のデイサービスでの出来事など、ちょっとした日常を手話にのせる。「通じないことがなくなって、今は本当に話をしている感覚」と話す。


「ただ訳すのではなく」


 デフリンピックには、2013年のブルガリア・ソフィア大会後に日本代表チームの専属手話通訳として関わるようになった。「ただ訳すのではなく、伝わっているかの確認作業を怠らないようにしている」。口話を使う選手もいれば、手話が第一言語の選手もいる。試合中の短時間で各選手にどう分かりやすく伝えるか、日々悩む。

 前回大会、日本選手団は新型コロナウイルス感染で途中棄権。その分、東京大会にかける思いは強い。岡田さんは「それぞれに個性のある選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できるよう全力でサポートしたい」と意気込んでいる。


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