歯科技工の腕磨いて40年 ろう学校出身の三津橋さん、現代の名工に

歯科技工の腕磨いて40年 ろう学校出身の三津橋さん、現代の名工に

鈴木優香2025年11月15日 6時30分

差し歯の製作をする三津橋幸勇さん=札幌市

差し歯の製作をする三津橋幸勇さん=札幌市


 北海道下川町出身、旭川市育ち。生まれてすぐ黄疸(おうだん)の診断を受け、治療として注射を打たれてから耳が聞こえなくなったという。

 「手に職を」という母の言葉に導かれ、小樽市銭函の北海道高等聾(ろう)学校専攻科歯科技工科へ進学を決めた。

 当時、歯科技工のコースはできたてほやほや。教える側も手探りだった。北海道大学歯学部の教授や、歯科技工士の講師が来ては、専門的な話を職員が手書きし、プロジェクターを使って投映した。暗い部屋の中、映された文字を必死に目で追った。真夏の暑い日も冷房なしのその教室でひたすら頭に詰め込んだ。

 当時のろう学校では、口話教育が行われ、生徒の学習は健常者の3年遅れとも、それ以上の差があるとも言われていた。

 クラスメートは定員10人のところ11人。28本の歯の形を頭の中にたたき込み、カービングで腕を競い合うのが楽しく、免許の試験は一発合格。卒業と同時に歯科技工士としてのキャリアが始まった。

 様々な経験を積もうと病院や技工所などを転々とし、技術を磨いた。初めて勤めた技工所では、師匠ともなる社長に「障害は関係ない。健常者並みに仕事をしなさい」と言われ、気を引き締めた。そこからは一切の甘えを断ち、ミスも減った。

 6年前から和田精密歯研札幌センター技工部に勤務する。医院からの発注に合わせて仲間が作った金型のかぶせものに白い硬質レジンを乗せて本物の歯のように仕上げるのが仕事だ。はけなどで塗って、融合させ、光で固める。ものによっては写真などを見ながら色みの調整もする。1日に20~30本の歯を完成させる。

 2020年に出場した全国障害者技能競技大会(アビリンピック)では、金賞を受賞。国際大会に日本代表として出場したこともある。21歳で歯科技工士になって、約40年。聴覚障害を抱えながらも持ち前の探究心で技術を磨き、国内外で発揮してきた。

 今回の受賞については「仕事が好きで、それを続けてきた結果」と謙虚に語る。もらった盾は実家の仏壇に飾るという。

 歯科技工用語の手話の研修会にも取り組み、後進の育成に励んでいる。「自分と同じように聴覚障害を持ちながらも、すばらしい技術を身につけて活躍してもらいたい」

この記事を書いた人

鈴木優香
北海道報道センター|道政担当
専門・関心分野
農業、食、動物、移住、多文化共生


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