水上賢治 | 映画ライター
3/15(土) 10:31

主演を務めたウー・カンレン
世界各国の映画祭で多くの賞を受賞したマレーシアと台湾の合作映画「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」は、一見すると、シンプルかつストレートな兄弟愛の物語だ。
マレーシアの首都クアラルンプールの片隅で、市場の日雇い仕事で生計を立てながら生きる、ろう者の兄・アバンと、裏社会の危ない仕事にも手を出している弟・アディ。
不法滞在者二世をはじめとした貧困層の人々が暮らすエリアで、ともに支えながら生きてきた彼らの互いへの想いが作品上ではメインとして描かれる。
ただ、その一方で裏テーマというよりこちらもまたメインテーマとして、深く言及し問題提起する題材を背景に置いている。
それは、身分証明書(ID)について。
アバンとアディは身分証明書をもっていない。
手がけたジン・オング監督によると、アバンについては両親が火事でなくなっていることが原因でIDカードの発行が困難で、普通の市民の権利を享受することはできない。
一方のアディはかろうじて出生証明書があることから、どこにいるかわからない実父がみつかればIDを申請するチャンスが出てくる、という設定にしているという。
マレーシア社会ではIDを持たないとうことは、仕事に就くことも、銀行口座を開設するとも、パスポートを申請することも、政府の教育や保険など基本的な権利を合法で享受することが困難であることを意味する。
とりわけアバンの状況は厳しく、街角で警官と遭遇し職務質問されただけで強制的に収監されてしまうという。
監督自身が綿密なフィールドワークをもとに書き上げた物語は、こういったなかなか表に出てこないマレーシアの社会状況を踏まえてのものになっている。
あまりふだん意識することはないが、わたしたちは自分の身分を証明して、あらゆるシーンで契約を結んでいる。
日常のあらゆる場面で、わたしたちは身分を証明するものの提示を求められる。
健康保険証、運転免許証、マイナンバーカードなど、なにかしらの身分を証明するものがなければ、あらゆるサービスをまともに受けることができない。
少し想像してほしい、自分の身を証明するものがなに一つなかったら?と。
少し考えればすぐに気づくはずだ。学校にも行けなければ、働き口をみつけるのもも難しい。社会へのアクセスが断たれることだと。
そのような中をアバンとアディはサヴァイブしている。
社会の片隅で息をひそめて生きなければならない兄弟の姿は、社会の枠組みから見捨てられてしまった人間の現実を伝えるとともに、人間の尊厳の問題に言及し、いまの社会の在り様を問う。
そして、アメリカがトランプ政権になったいま、おそらくアバンやアディのような存在はこれからさらに増え、行き場を失う可能性が高まる。
本作は、その不寛容な世界と社会にも警鐘を鳴らす。
深い社会的メッセージの含まれた本作に、どのように取り組んだのか?
アバンを演じた、中国語圏で大きな脚光を浴びる台湾の俳優、ウー・カンレンに訊く。全六回/第五回

主演を務めたウー・カンレン
終わったときは、どっと疲労が襲ってきました
前回(第四回はこちら)、本作においてとりわけ強い印象を残す、僧侶を前にアバンが手話でその心情を吐露する場面について改稿に改稿を重ねて30バージョンを数えたことを明かしてくれたウー・カンレン。
実際のその場面の撮影は、自身はどのように挑んだのだろうか?
「まあ、なかなかないことですよね。30バージョンも考えられる場面というのは。
ただ、撮影自体はス―ムースというかあっという間でした。
というのも、30バージョンを考えたということで最終的にこれでいこうとなったものは、ある意味、磨き上げられてこれ以上ないというものになっていた。だから、変に小細工して演じる必要はなかった。それを思うがまま演じればよかったんです。で、実際の撮影も2テイクしか撮らなかったんです。
4分の長回しで大変ではありましたけど、2テイクで撮影自体は終わりました。それ以上テイクを重ねることはなかった。
ジン・オング監督によると、まず最初のテイク、ワンテイク目ということになりますけど、そのバージョンで一発OKだったみたいです。
でも、ちょっと何か不備があったらいけない、たとえばちょっとだけカメラのピントが合っていないとかあるかもしれない。それだと後になって困ることがあるので、2テイク目を押さえで撮ったようです。
それで終わりだったんです。だから、わりとあっけなかったんですけど、長回しは途中でミスするとやり直しとなるので、やはりスタッフも俳優たちも独特の緊張感に包まれていました。だから、終わったときは、どっと疲労が襲ってきましたね。
ちなみに映画で使われたのは、一発OKとなったワンテイク目です。
それから、少し余談をお話ししますと、当初、変更に変更を重ねて30バージョン以上になったわけですけど、そのバージョンごとの違いはほんとうに手話のことがわかっていないとわからない細かいところもありました。
ですから、30バージョンの違いをきちんと完璧に把握していたのは、おそらくわたしとジン・オング監督、30バージョン考えてくれた手話講師の女性だけだったと思います。
つまり、どの手話でシーンが終わるのか、カメラマンをはじめスタッフはよくわかっていなかった。
で、手話のシーンで言葉を発するわけではないですから、とても静かなんです。
だから、わたしが演技を終えたとき、ほとんどのスタッフはわからなくて、少し沈黙があって『あっ、終わったかな』と気づいた感じでした。
でも、終わった直後に、ボロボロ泣き出した人がいました。手話の先生でした。
ほかは無言でシーンとしていたんですけど、内容を完璧に理解していた彼女は、もう胸がいっぱいになって感動して泣きだしてしまったんです。
このときは、この大変なシーンを考えに考え抜いて作り上げた彼女の頑張りと苦労に報いることができたかなと思いました」

「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」より
この長回しのシーンは、わたし個人としても心に残るシーンに
このシーンに登場する僧侶は、俳優ではなく本物の僧侶。
これもなかなかないことと思うが。
「なかなか本物の僧侶の方と一緒に演じることはないですよね。
これは監督のアイデアで、あのような場をリアルに表現したいことから実際の僧侶の方にお願いしたと聞いています。
ただ、撮影の前は、少し戸惑いはありました。
演じるとき、役者同士だと、こう言ったら、こう返してくるだろうな、こう動いたら、相手はこういう感じになるかなとか、なんとなく予想がつくんですね。意表をつかれることもあるんですど、それも大きくは外れていなくて、許容範囲で対応できる。
でも、本物の僧侶の方となると、ちょっと予想ができない。さらにいうと、手話がわかる僧侶の方ではなかったから、余計に大丈夫かなと思いました。
そのように思っていたんですけど、実際は問題なかったですね。
僧侶の方は、手話の意味は理解していなかったと思いますが、アダンという人間としっかり向き合って彼の声にならない声にじっと耳を傾けている感じで向き合ってくれていました。
だから、わたしは入念に考えてマスターした手話で、思いのたけを表現するだけでした。
アダンになりきって、ブレずに表現できました。
この長回しのシーンは、わたし個人としても心に残るシーンになりました」
(※第六回に続く)
【「Brotherブラザー 富都のふたり」ウー・カンレン インタビュー第一回】
【「Brotherブラザー 富都のふたり」ウー・カンレン インタビュー第二回】
【「Brotherブラザー 富都のふたり」ウー・カンレン インタビュー第三回】
【「Brotherブラザー 富都のふたり」ウー・カンレン インタビュー第四回】

「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」ポスタービジュアル
「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」
監督・脚本:ジン・オング
出演:ウー・カンレン、ジャック・タンほか
公式サイト https://www.reallylikefilms.com/brother-pudu
全国順次公開中
写真はすべて(C)2023 COPYRIGHT. ALL RIGHTS RESERVED BY MORE ENTERTAINMENT SDN BHD / ReallyLikeFilms
水上賢治
映画ライター
レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。
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