12月に入ってめちゃくちゃ寒いですね。
ようやく冬本番な感じでしょうか。
様々な立場の人がそれぞれ精一杯
毎日を乗り越えようとしているなか
また4月のように、世の中の空気が
人にやさしくなれないモードに入ってしまいそうな感じに、
もうアレはやだなあ…と思っているのは
きっと私だけではないはず…
皆様は健やかにお過ごしでしょうか。
寒さが身体に堪えますので
くれぐれも健康第一でお過ごしでありますように。
<聞こえない人=手話が出来る人 という誤解方程式>
障害という言葉は個人的にとても好きではないので
聴覚障害者という言葉も好きではないのですが
聴覚に何らかの課題を持つ人=聞こえない人=手話が出来る人
というよくある誤解方程式をご存じでしょうか。
私の場合、一番身近にいたのは、聾の叔母3人で、
聾と言われる聴力の方は、全員が手話を使うわけではなく、
手話ができる聞こえない方は、全員聾と言われる聴力でもないのですが
私が補聴器メーカーで勤務している時から
周囲に難聴の方がいない方などに自分の仕事の紹介をすると
手話できるんだ!?といわれることが多くて
そのギャップにびっくりしたことを覚えています。
とはいえ、私自身も、
視覚の課題を持たれる中でも、盲と言われる視力の方は
ほぼ全員、点字を使いこなしていらっしゃるものだと思っていました。
知らないことって興味を持って知りたいと思わない限り
なかなか知ることは難しいですよね。
※ちなみに点字を良く使われるのは、視覚に課題をお持ちの方の約1割と言われています。聴覚に課題をお持ちの方で手話を良く使われる方の割合は調査が古いものが多く(20年前のものなど)、また年代の検証を深く実施されていないものなどもあるため、一概に提示するのが難しいのですが厚労省の平成8年の調査によれば若年齢層に多めで6~7割、全体で1.4割となっています。
1年前にも聞こえにはグラデーションがあって
いろんな人がいるんです、ということを
ブログで紹介しましたが
耳の聞こえ方にも、目の見え方と同じように
グラデーションがあります。
視力と聴力とで一緒に見るとよりわかりやすいかと思い、
ざっくりとした図にしてみました。
視力については上の段で
全盲と呼ばれる方の視力(障害手帳の対象)→弱視の方(手帳の対象&メガネ等の補助器具が必要→手帳の対象ではないけどメガネが必要な視力→補助器具なくても平気だけど見えづらい→特に困らない
という感じでざっくりとのグラデーションがあると思います。
さらに白内障・緑内障・斜視など、希望をすれば手術対応が可能な症状も、など
更に沢山の症状があるので細かくは上げられなくてすみません。ざっくりです。
聴力の場合同様にざっくりすると
聾の方の聴力(障害手帳の対象)→高度~重度という聴力(手帳の対象&人工内耳・補聴器等の補助器具を使って多少の改善可能)→中等度~軽度という聴力(手帳の対象ではないけど補助器具が活用できると改善可能)→補助器具なくても平気だけど聞こえ辛い→特に困らない
という感じかと思います。
聴力の方も、APD(聴覚情報処理障害)・突発性難聴・一側性難聴や、外耳炎・内耳炎などによる難聴(手術で対応が可能)の症状があり、聴覚も同じく他にも沢山の症状があるのですが全部上げきれずごめんなさい。グラデーションの説明が目的なのでざっくりいきます。
聴覚障害 と言っても、その段階にグラデーションが沢山あって
一括りにはとてもできない、ということを
頭にのこしてくださったら、まずはとても嬉しく思います。
2010年の調査にはなりますが
第一生命さんが行われた調査がとても詳しく
『難聴・聴覚障害に対する理解 』について紹介されていますので
ご興味あるかたはこちらも是非ご覧ください。
<「障害」との向き合い方>
度々お伝えしてきましたが
JINOの会社のミッションは「聞こえの課題をゼロにする」ことで
私個人の人生目標は「『障害』という言葉を世の中からなくす」ことです。
起業して約1年、
自分の目や検索が、同じ考えの人を求めるからなのか
同じように「障害」という課題をなんとかしたい、という
活動をなさっている人を沢山知ることが出来ています。
感覚値で言えば増えて来ているのかな、とさえ感じることも。
どんどん、当事者の方やその家族から
知って欲しいという気持ちで発信してもらって
解って欲しい、解りあいたい、という活動は広がって欲しいなと思います。
ただ、これも強制してしまわずに。
強制は軋轢しか生まないと思うので。
ここの感覚が難しいなとも思うことが多いのですが
啓発活動をして、知って解って、応援して、お互いに支え合える
という社会になって欲しいけど
相手にもそれを拒否する権利はあるんですよね。
私の正義は相手の人の正義とは限らない。
当たり前の事なんですが、ついついそれを忘れがちなので
もう一度気をつけなくちゃな~と思わせてくれたのが
こちらの茅ケ崎美術館の企画展のインタビューでした
すっごくステキな記事なので良かったらお目通しください✨
学芸員の方がおっしゃってることは共感まくりで、
特に障害の有無によって何か違うものがあるのではなく
全ての人の感覚は全てひとそれぞれ。
という言葉が、うんほんとそうですよね!!
と勝手に話し掛けてしまったほど。
みんなそれぞれで、そのそれぞれを尊重するって
こういうことなんだ!と腹落ちできるフィールドワーク、
JINOでもやりたいな~と思ってしまいました。
自分の知らないもの、解らないものは
怖い、と感じてしまう人が多いものですが
文中にあるように、
誰かの、「知らない」、「解らない」 を
「知りたい」「解りたい」に変えて行けたら
「障害」は社会が作るもの、という見方と
この言葉自体が必要なくなる社会の土台が出来ていくのかな。
方法は解らないけど、茅ケ崎美術館さんのような
フィールドワークやインスタレーションは
とても好きな分野なので、
JINOでもできないかな~と考えを巡らせてみます。
こんなことやってみたい!とか
体験してみたい!とか
御希望やアイデアがあったら是非教えてください♬
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
LMH 郷司