2025/9/19 13:31
桑畑優香
耳の聞こえない妹を支える女性と、将来に迷う青年。手話を通じて心を通わせていく2人の姿を描いた映画『君の声を聴かせて』(9月26日公開)は、恋愛映画でありながら、家族やろう者の日常をリアルに映しだし、フレッシュな魅力にあふれている。
この映画を観て「すごくリアル。何度でも観たくなる」と語るのが、両親がろう者であり、コーダ(CODA)として育った絵描き、イラストレーターの門秀彦。手話をポップなアートに昇華し、国内外で活動を広げてきた彼は、この作品のなかに自身の半生を重ね合わせる。映画のセリフに胸を打たれ、丁寧に描かれた手話の豊かさに「うれしかった」と語るその言葉からは、アートで手話と世界をつなぐ門の想いが浮かび上がってくる。
「手話の便利さや魅力が、自然にストーリーに溶け込んでいました」

手話を通じて心を通わせていくヨンジュンとヨルム
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映画『君の声を聴かせて』は、就職活動に行き詰まった青年ヨンジュン(ホン・ギョン)と、聴覚障がいをもちながら水泳のオリンピック代表を目指す妹ガウル(キム・ミンジュ)を懸命に支えるヨルム(ノ・ユンソ)の出会いから物語が動きだす。弁当の配達先で偶然出会ったヨンジュンとヨルムは、手話を通じて少しずつ心を通わせていく。
「よくできているなあと思いましたね。ストーリーに温かみがあって、素直に心に届く。だからこそ観終わるともう一度観たくなるんです」。
門は開口一番、作品の感想をこう語った。ろう者が登場する映画は、ともすれば「特別な人の話」「理解を促すための教材」として描かれることもある。だがこの作品は違った。門は「ろうの人たちの世界が、普通に、当たり前のこととしてそこにある。だから観ていて自然なんですよね。手話を使うシーンも、流れのなかでうまく出てくる」と感じたという。
特に印象に残ったのは、プールでろう者たちが練習することに対して、他の利用者が反対の声を上げるシーンだった。
「差別はいまでも確実にあるんです。昔に比べれば表立って言われることは減りましたが、日本でも本当にたくさんある。そこをまったく描かないと、さわやかな美談になっちゃう。映画のプールのシーンでコーチは怒るけれど、ろう者は怒りません。(差別されることに)慣れているんです。せつないですけど」。

オリンピックを目指すろう者のガウル
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門は自身の体験を重ね合わせる。デパートでろう者の母と筆談をお願いした時、店員が黙って去ってしまったことがある。映画のワンシーンには、そうした現実の空気が捉えられていたという。
一方で、手話の便利さや魅力も映画のなかにきちんと描かれていたと語る。例えば、混みあったバスの中で離れた場所に立った主人公たちが、手話で会話するシーン。
「人混みや遠くにいても、大きな声を出さずにコミュニケーションが取れる。実際に私も母を見送りに行った時、ガラス越しに電車の中と外でもシームレスに会話を続けていました。少し離れた場所からでも手話で気持ちを交わせる。そういう場面が出てきたのがいいと思いました。自然にストーリーに溶け込んでいたんです」。
「聞こえないからこそ生まれる会話の豊かさがリアルに描かれていて、うれしかった」

妹を支えるために、国際手話を勉強するヨルム
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さらに、劇中に登場する韓国手話にも親しみを覚えた。
「国によって手話は違うんですけど、韓国の手話は日本と同じような表現、動きがちょこちょこ出てきて。字幕を見なくても、なんとなくわかる気がしました。表情や手の動きでだいたい伝わる。映画を観ていて『あ、多分こういう意味だな』と思う瞬間がいくつもあった。そういうのもおもしろかったですね」。
手話には言語の壁を越えて伝わるものがある、というわけだ。実際に門は、子どものころから手話を通じて「言葉を超えたコミュニケーションの可能性」を感じてきた。
「手話ってかっこいいんですよ。表情や体の動きが伴うから、言葉だけよりずっと豊かになる。聞こえないからこそ生まれる会話の豊かさがある。それが映画のなかでリアルに描かれていたのが、僕にとってすごくうれしかった」と笑顔を見せる。

『君の声を聴かせて』について、「何度でも観たくなる映画」と語る門
写真/興梠真穂
アーティストとして活動する門の原点には、両親と共に過ごした幼少期の記憶がある。父母は長崎でテーラーを営んでいたが、2人とも耳が聞こえなかったため、家のあちこちに筆談用の紙と鉛筆が置かれていた。それは、幼い門にとって格好の遊び道具でもあった。
「新聞広告を母が切って、メモ代わりに置いていたんです。僕はそこにゴジラや怪獣を描いて遊んでいました。するとある時、家に来た父の友人のろう者のおじさんが、その絵に仮面ライダーやバイクを描き足してくれたんです。僕の落書きが物語になっていく。言葉を使わず絵を通じてコミュニケーションしたのは、それが最初の体験でしたね」。
同時に、門は幼いころから両親の通訳の役割を担っていた。
「小学校に上がる前から、母に代わって注文を聞いたり、父に代わって電話に出たりしていました。お客さんが『ズボンの裾を何センチ詰めたい』と言うのを、僕が母に手話で伝える。大人の会話を全部理解できるわけじゃないけど、必死にニュアンスを伝えようとしていました」。

両親との筆談用の紙と鉛筆は、幼い門にとって格好の遊び道具だった
写真/興梠真穂
だが、小学校に上がり年齢を重ねると、親子の会話も複雑になっていく。絵は、言葉に置き換えられない感情や出来事を表現する手段だった。学校で起きた出来事を両親に伝える時も、語彙だけでは追いつかない部分を絵で補った。
「学校から帰ってきてお母さんと『今日はどうだった?』みたいな話をする時に、細かいエピソードを伝えたくなってくるんです。長い話になると手話だけでは伝えきれない。だから絵を描いて説明していました。僕にとっては、手話と絵を組み合わせるのが自然なコミュニケーションの形だったんです」。
「手話を『かっこいい、楽しい』と思ってもらえる機会を増やせば、社会は変わると思いました」

門が手掛けるブランド「SMILE TALKING HANDS」
写真/興梠真穂
アーティストとしての道は、決して真っ直ぐなものではなかった。中学校のころから絵画コンクールで賞を取り、才能を周囲に認められていた門は、美術高校への進学を希望していた。教師から推薦の話もあったが、色弱であることが判明し、推薦は取り消されてしまった。
その後は思うように進路が定まらず、門曰く「流浪の日々」。横浜で就職するもほどなく九州に戻り、建設作業員やアパレルショップ店員などの仕事を渡り歩いた。それでも絵を描くことだけはやめなかった。そして20歳の時、人生を変える出来事が訪れる。長崎市の百貨店から依頼を受け、壁画を制作することになったのだ。
「そのとき、父が『息子の絵の前でろう者の仲間と待ち合わせたい』と言ったんです。それを聞いて、ろう者にとって自分たちの言葉が描かれている場所があったらうれしいんじゃないかなと思い、壁画の中に『ありがとう』や『こんにちは』の手話を入れてみました。すると知人が『かっこいい。ヒップホップっぽい』って言ったんです。手話だと知らないで。手話って『かわいそうな人が使うもの』と見られることもある。でもアートを入り口にすると、『かっこいい』『楽しい』って思ってもらえる。そういう出会いを増やせば、社会はだいぶ変わるんじゃないかと。そのとき思いました」。
「『自分だったら』と想像しながら観てもらいたい映画です」

カフェのメニューを手話で表現した門の作品
写真/興梠真穂
この気づきが、アーティスト・門の出発点となった。以降、ポップに描いた手話を、ファッションや音楽と結びつけていく。NHK『みんなの手話』でアニメーション作品の企画と作画を担当したり、宮本亜門、佐野元春など多彩なアーティストのアートワークやフジテレビ『めざましテレビ』の情報コーナー「モアセブン」のアニメーションを制作し、多くの視聴者に作品を届けた。
なかでも大きな注目を集めたのが、スターバックスとのプロジェクトだ。国内初となるサインニングストアの店内アートとデジタルサイネージを担当。ろう者たちが働く店内には、フラペチーノやマグカップにまつわる言葉や『THANKS』『GREETING』といったコミュニケーションの言葉が手話で描かれている。
「来店したお客さんがアートを見て、『あ、これ手話なんだ』と自然に知ることができる。コーヒーを飲みに来たついでに手話に触れるきっかけになればと思いました」。

アートを媒介に聴者とろう者が楽しく出逢うコミュニケーションの機会をつくる
写真/興梠真穂
門の活動は、個展や商業的なアートにとどまらない。全国で行うワークショップも、活動の大きな柱だ。子どもたちや地域の人々と一緒に絵を描く活動は、「手話」や「ろう文化」と出会う入口となり、世代や立場を越えたコミュニケーションの場を生み出している。
特に大きな取り組みの一つが、今年11月に東京で開催されるデフリンピックに向けた活動だ。門は行政や地域と協力し、学校や商店街でのアート制作を通じて、大会の周知と理解促進に取り組んできた。
「みんなで一緒に絵を描く、みたいな感覚ですね。手の絵やデフリンピックに関連する絵を描くんです。誰でも参加自由で、ろう者も来るんです。『デフリンピックってなんだろう』ぐらいの、ちょっと入り口に立った聴者の人たちもいっぱい来ます」。
アートを媒介に聴者とろう者が楽しく出逢うコミュニケーションの機会をつくる。紆余曲折を経ながら、幼い日に抱いた夢を形にしてきた門。手掛けるブランド「SMILE TALKING HANDS」には、次のような想いが込められている。
「コミュニケーションは、すべての人と人の間にある。出逢い方をできるだけ楽しく。伝えたい思いは、すべての大切な人の数だけある。手をできるだけ伸ばして」。

写真/興梠真穂
映画『君の声を聴かせて』で一番心を動かされたセリフを尋ねると、こう答えた。
「『これからはヨルムとして生きてほしい。ガウルの妹や私たちの娘としてでなく』という、ヨルムの母親のセリフです。僕の父も『好きなことをやれ』って、よく言っていたんです。子どもの時は気づかなかったけど、大人になってから思うと、もしかしたら深い意味があったのかもしれない。自分たちが好きに生きたくても生きられなかったからこそ、『お前はそうならないように、自由に生きろ』という願いが込められていたんじゃないかと。この映画は恋愛映画でもあるけれど、同時に家族の物語でもあると思います。ろう者は特別な存在じゃなく、実はすぐそばにいる。自分と全然違う世界の話じゃなくて、『自分だったら』と想像しながら観てもらえたらいいなと思います」。
取材・文/桑畑優香
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