「デフフッド」――ろう者の自己探求を支援したい…聴覚障害教育の現場を棚田茂さんに聞く

「デフフッド」――ろう者の自己探求を支援したい…聴覚障害教育の現場を棚田茂さんに聞く

2025/10/28 12:10
栗原守

 11月のデフリンピック東京大会(読売新聞社協賛)の開催まであと少し。難聴やろう者への関心が高まる中で、ろう者の社会を見つめ、ろう学校の教員としても教育を実践してきた、大宮ろう学園の棚田茂教頭(58)に、教育理念を中心に話を聞いた。(栗原守、以下敬称略)

幼稚部から高等部までの生徒が学ぶ大宮ろう学園の棚田茂教頭

幼稚部から高等部までの生徒が学ぶ大宮ろう学園の棚田茂教頭


ろうの子どもの人格形成に「デフフッド」の観点を

――勤務先の埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園はどんな学校ですか。

棚田  幼稚部、小学部、中学部、高等部本科、高等部専攻科があり、約150人の幼児・児童・生徒が学んでいます。約20人のろうの教職員が本校で勤務しています。私は、2年前から大宮ろう学園で教頭をしています。その前はコンピューター通信関連企業や役所で働いていました。


――どのような教育実践をしているのですか。

棚田  ろう者になるための自己探求過程を基本に、教育を実践していきたいと考えています。この過程を「デフフッド」といいます。ろう者は日本手話で話し、ろう文化を共有します。デフフッドの視点で授業を実践することにより、児童生徒がろう者としての自分探しを実践することができます。

 たとえば、学校で使われる国語の教科書に「みいつけた」という単元があります。「セミはよくなきます」という文言は、セミの声をもとにその姿を見つけられることを前提とし、そこから夏を感じ取れることを意味します。

 しかし、ろう者の行動は異なります。木を揺らしてセミが飛び立つ姿を見つけるプロセスが必要です。授業の中で「ろう者だったらどうするのか」を考えることが、デフフッドの視点での授業になります。この教科書は聴者の視点で作られており、そのままではろう者にとって難解なものになります。自分探しをすることができません。

 また、家庭科の授業では、例えば住まいの見取り図(キッチンや居間等)を数点掲示します。壁側にキッチンがある見取り図と、キッチンからリビングが見渡せるもの(アイランドキッチン)などがあるのですが、生徒たちはアイランドキッチンの見取り図を選びます。ろう者は手話で会話をするので、キッチンから居間で過ごしている家族の様子が見渡せるものがいいようです。

 教科書ではふれていない、ろう者の考えや視点を盛り込めば、生徒は教科書の内容を理解しながら自分探しができます。この実践を「デフフッドの視点を踏まえた授業づくり」といいます。


聴者とは異なるろう者の言語・文化

――ろう者の世界は、聴者の世界とは全く違うのでしょうか。

棚田  言語としての日本手話は、日本語とは全く異なります。聴者が日本語を話すとき、最後に結論を話す傾向があるそうです。しかしろう者が話す日本手話は、最初に結論を述べることが多いのです。ニュアンス、話し方においても、日本手話は日本語と異なります。ですので、ろう者にとって日本語での会話がわかりにくいことがあります。こうした言語の違い、文化の違いを踏まえ、児童生徒が自分探しを経てろう者になっていく過程を理解することが、ろう教育のキーワード、すなわち「デフフッド」の視点になりますね。

ろう者にとって適した教育を模索する棚田さん

ろう者にとって適した教育を模索する棚田さん


――ろう者はまず、手話の世界を学ぶ必要があると。

棚田
 ろう者と比べ、聴者が多い世の中では、日本語は必要と考えています。「ろう学校を卒業してからも日本語は必要」という先輩たちは多いです。ただ、「ろう者として生きていく」といったアイデンティティーは、言語としての手話とろう文化を共有することを意味します。学校の中で幼児・児童・生徒が自分探しをしながら「ろう者になること」を今後も支援していきたいと思います。

 ろう者の中には聡明で日本語が 流暢りゅうちょう な人もいます。聴者が多い世界で、社会的地位を獲得していく人もいます。しかし現時点で、日本語を苦手とするろう者も少なくありません。日本語が苦手であっても、ろう者として生きていくことを大切にしていきたいと思いますし、そのように育てていきたいです。

 ろう者の考え方・行動様式というのがあるのですが、同じように聴者の考え方・行動様式があります。互いに異なりますが、ろう者としての考え方に対する理解を求められる力をこどもたちに身につけてほしいですね。聴者の考え方がろう者にとって適切なのかを考えていきたいです。


声に頼りがちな聴者監督の指導


――具体的にはどういうことですか。

棚田  デフリンピックなどのスポーツでも、チーム監督が聴者であることが多いのですが、監督が聴者を基準として選手と接していくと、いくつかの問題が出てきます。たとえば「声を出せ」といった指導です。ろう者にとって「声」というものは重要ではありません。しかし聴者は声に反応しやすく、声での会話が可能であれば無意識のうちに声での会話をしてしまいます。ろうの選手は会話があったことに気が付かないか、あきらめてしまい、なかなか会話に参加できないことがあります。

 ろう者がいるにもかかわらず無意識のうちに声で会話したりすることを「オーディズム」といいます。聴者の監督やコーチに「オーディズム」が見え隠れしてきます。

 また、監督自身も大声で指導をすることがあり、比較的程度が軽い難聴の選手はその声に反応します。一方、聞こえない選手はその声に反応ができないため、監督の声に反応する軽い難聴の選手が有利になりやすい状況となりかねません。ろうコミュニティーを尊重するならば、「声」をめぐる「オーディズム」に注意しなければなりません。こうした事態の回避には手話通訳者が絶対必要となります。手話通訳者には、ろう社会や思考、ろう文化を理解していることが重要であり、むしろそうでなければならないと思います。


――デフリンピックの開催に期待はありますか。

棚田  ろう者への理解が深まることを期待します。聴者の考え方の他に、ろう者の考え方でスポーツを楽しむことへの理解が広がっていけばと期待します。選手が公平に競い合うためには、声をコミュニケーション手段にしないことが大事です。そして指導者がろう者で、言語としての手話、ろう文化を理解していることが重要です。

 聴者でも、声に依存しない指導を心掛けていれば、うまく選手たちと意思疎通ができると思います。でも現実には、そこまで実現できていないかと思います。まずはろう者と聴者は互いに言語、文化が違うことを認識して活動することが大事だと思います。

 

たなだ・しげる  埼玉県生まれ。コンピューター通信関連企業で、システムソフトウェアの開発に従事し、埼玉県越谷市役所勤務を経て、数学科、情報科教諭として、ろう学校に赴任。ろう者の生き方を主張した「ろう文化」(青土社)の寄稿の一人。

取材時のショート動画

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