タウンニュース
厚木・愛川・清川版
公開:2025年7月18日
「メダル獲得が目標」

ガッツポーズを見せる野村空和さん
厚木市妻田在住の野村空和(そわ)さん(光明学園相模原高校2年)が、今年11月に開催される東京2025デフリンピックの競泳日本代表のメドレーリレーメンバーに内定した。自身にとっても初の国際大会。「楽しみでもあり、緊張もある。メダルが獲得できたらうれしい」と笑顔で話している。
デフリンピックは、聴覚障害者のための国際的なスポーツ大会。オリンピックと同様に4年ごとに夏季と冬季大会が開催される。デフ(Deaf)とは、英語で「耳の不自由な」という意味で、聞こえない・聞こえにくいアスリートが参加する。初開催は1924年のフランス大会で、東京2025デフリンピックは、日本で初めてのデフリンピック開催となる。
2歳で手術も
野村さんは生まれつきの先天性重度感音難聴。2歳の時に右耳に、9歳の時に左耳に人工内耳手術を行っている。
小さい頃から活発で、身体を動かすのが好きだった野村さん。母の沙永さんが競泳選手だったこともあり、3歳頃からレオスイミングスクール愛川校で泳ぎ始めたそうだ。中学2年までは週1日の普通クラスに所属していたが、パラ水泳大会への出場を契機に、中学3年から厚木校の選手コースに籍を移した。それでも同世代と比較すると泳力に差があったため、まずは小学生と一緒に基礎を作りあげることからスタートした。
仲間の支えに感謝
水に入る際には人工内耳を外す必要があるため、指示もスタートの音も聞こえない。練習する上でも技術を習得する上でも、大きなハンディとなる。それでも「どうやったら速くなるか」と周囲に積極的に質問を重ね、仲間たちも身振り手振りを交えてアドバイスを送ってくれた。週6日の練習と周囲の支えもあり、今年に入ってから50mも100mも2秒ほどタイムの短縮を達成。日本代表という栄誉をつかんだ。
本格的に選手として練習に励むようになって、わずか1年半での快挙に、指導する西村仁コーチは「人の意見に耳を傾ける素直なところ。そして仲間のおかげも大きい」とその要因を分析する。また、過去4度デフリンピックに出場し、19個のメダルを獲得した憧れの茨隆太郎選手と週に1日、東海大学で一緒に練習できることも大きな学びにつながっているという。
認知度を上げたい
「聞こえないことが当たり前で生きてきた。今は自分を誇りに思っている」と語る野村さん。
日本代表に内定した今、聴覚障害やデフリンピックという大会について、より多くの人に知ってもらいたい思いが芽生えたという。
「周囲の人が自分のことを理解し、フォローしてくれたおかげでデフリンピックに出場できる。そして日本代表になれたことを、みんながすごく喜んでくれた。本大会では1分を切る泳ぎを披露して、リレーでのメダル獲得に貢献して恩返しがしたい」と力強く話している。
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