大接戦の決勝、応援受けた逆転劇…デフリンピック4大会出場を振り返る

大接戦の決勝、応援受けた逆転劇…デフリンピック4大会出場を振り返る

2025/10/30 12:10
栗原守

 デフリンピック東京大会(読売新聞社協賛)の開催まであと少し。選手たちの最後の調整が続いている。大会の認知度が低いデフリンピックだが、選手にとっては、4年間の成果をぶつける大きなイベントだ。女子バレーボールで4大会連続の出場を果たしたチームのメンバーだった岡本かおりさん(49)に、大会での熱戦の様子、大会やチームの運営について話を聞いた。(栗原守、以下敬称略)


女子バレーボールで4大会に出場


――デフリンピックの出場はいつから?

デフリンピックの経験を語る岡本さん

デフリンピックの経験を語る岡本さん


岡本
 1997年のデンマーク大会が初出場で、2001年のイタリア、05年のオーストラリア、09年の台湾の4回、出場しました。デンマーク大会は5位、イタリア大会で優勝しました。


――練習環境はどうでしたか?

岡本  当時は、大阪の地元のろう者のチームに所属していました。全国的にもレベルが高く、そういう意味で練習環境は恵まれていました。

 日本代表チームに選ばれると、各地から合宿に参加しますが、交通費は自腹でした。会場から遠い選手や近い選手がいるので、均等に費用を負担しました。働きながらの練習なので、筋肉痛でもケガをしていても、会社には出勤しました。


――イタリア大会で優勝しましたね。

岡本  最初の2大会は、監督が良かったと思います。最初のデンマーク大会は、最後にウクライナに負けて5位でした。次のイタリア大会は、最も印象に残った大会です。優勝したからというのもありますが、準決勝ではウクライナと対戦し、4年前のリベンジとも言える戦いでした。メンバーも4年前とほぼ同じで、皆同じ気持ちだったと思います。3セット先取すれば勝利ですが、ここで2セット落としました。「また4年前と同じか」と嫌な予感がしましたが、なんとか食らいついて、3セットを取り逆転勝ち。大泣きしました。決勝での相手は、アメリカでした。


金メダル争奪戦、失望の後の歓喜


――決勝戦はどんな戦いだったのですか。

イタリア大会で取得した金メダル(手前)

イタリア大会で取得した金メダル(手前)


岡本  アメリカは、この大会のリーグ戦で負けた強豪でした。この試合でも2セット先取されました。準決勝と同じ展開です。そこから2セット取り返し、2-2となり、最終セットで大接戦となりました。ジュースを繰り返し、アメリカのサーブ権になりました。

 1点失えばすべて終わりです。そのサーブが日本のコートに入りました。アメリカチームは歓喜の声を上げて大騒ぎとなります。私たちは「ああ、負けた」と。その時、審判が日本側のポイントを合図していました。「あれ?」という感じです。どうやら、アメリカの選手がラインを踏んでいたらしいのです。試合続行です。一度優勝したと思ったアメリカチームは、調子が狂うわけです。そこから大逆転して、日本が優勝しました。


――ドラマのような経験ですね。

岡本  私としては「審判様! よく見ていてくれました!」という思いです。観客もアメリカ応援団以外は、会場中が日本を応援してくれた感じです。日本チームの応援に合わせて、ウェーブが会場を2周しました。

 日本流の応援の仕方にも、会場が興味を持ってくれたようで、うれしかったです。鳥肌が立ちました。応援の声は、補聴器がないので聞こえないけど、伝わりました。見て伝わるものです。3セット奪取できたのは、応援の力だったと思います。


声ない世界、合図などで工夫


――大会として印象に残っているのは?

岡本  もちろん優勝したイタリア大会ですが、台湾大会は大会運営が素晴らしかったです。アジアで初の開催ということもあり、行政側の力も入っていました。進行もスムーズで、移動時のバスは護衛付きでした。タレントが盛り上げたり、台湾の当時の総統も出席したりと、大変歓迎されました。台北市内の電車とバスは無料になるパスが配られ、買い物の優遇券ももらえました。スマホのSIMカードも支給されました。

――選手生活は順調だったのでしょうか。

夫の小立哲也さん(右)と

夫の小立哲也さん(右)と


岡本  4大会出場しましたが、後半の2大会はそれほど良い思い出ではありません。成績もよくありませんでした。

 バレーボールは、チームが成功するかどうかは指導者が重要な要素になります。ある指導者はろう者の文化をよく理解していないことがありました。たとえば「声」についてです。「声を出せ」という指導者がいました。「さあ来い!」というようなかけ声です。ろう者のバレーボールには「声」の文化はありません。いつも出さない「声」を強いられると、エネルギーが奪われます。一体誰のための声出しなのだろう、と文句も言いたくなります。でも文句を言えば、選手から外されるかもしれないので言えませんでした。

 ろう者のバレーは、試合の途中で声をかけあったり、監督から指示を受けたりすることはありません。手の合図や、アイコンタクトでフォローします。臨機応変に動くために、たくさんの独自の方法があります。相手の癖も、自分の癖も、得意不得意も理解しあうことで、乗り切ります。様々な状況に対応できるようなパターンを事前に覚え込みます。これが結構大変で、時に間違えることもあります。


――ろう者だけのスポーツと聴者と共にするものと、どちらが重要でしょうか。

岡本  どちらも重要です。ろう者は数が少ないので技術的にも低く、聴者と交流しながら力を付ける環境も必要です。ただ、聴者とろう者では、行動様式や決めごとなどで違いがあります。こうしたことは相互に理解が必要だと思います。


おかもと・かおり
 大阪市生まれ。生まれながらのろう者。中学1年でバレーボールを始める。デフリンピックには女子バレーボールで4回出場し、2001年イタリア大会で優勝を果たした。現在は、ろう者として講演活動などをしている。夫は、デフバスケットの元日本代表選手・小立哲也さん。


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