2025/10/12 12:00
山本おさむさんインタビューの動画はこちら
聴覚障害の生徒たちが高校野球で甲子園を目指す姿を描いたマンガ「遥かなる甲子園」(全10巻・双葉社、1988~90年)をご存じだろうか? 障害者を主人公にし、「タブーを打ち破った」傑作と評価される作品だ。以後、マンガやテレビドラマなどでの障害者の描かれ方は大きく変わり、時代を超えて共感を呼ぶ数々のエピソードやセリフにあふれている。4年に1度開かれる聴覚障害者の国際スポーツの祭典「デフリンピック」東京大会の開幕が迫った今、この名作をひもといてみてはどうだろうか?(デジタル編集部 斎藤健二)
「野球をやりたい」 立ちはだかる制度の壁
全10巻で発行部数は累計85万部超。映画や演劇にもなった=©双葉社
作者の山本おさむさんは「障害者がマンガで登場する時、健常者の教師や監督が、障害のある子供たちを導くパターンが多かった。そうしたストーリーから脱し、障害者も強さや優しさを持つ一人の人間であることを描きたかった」と話す。1960~80年代の実話を基に構成した同作の舞台は沖縄・北城ろう学校(マンガでは福里ろう学校)。東京五輪が行われた1964年、米国では風疹が大流行した。ベトナム戦争の基地となった沖縄にも広がり、風疹にかかった妊婦から多くの聴覚障害児が生まれた。彼らのために特設されたのが同校だ。
「硬式野球をやりたい」と部創設にこぎ着けたものの、「音が聞こえないと危険」との先入観や日本学生野球憲章など制度の壁が立ちはだかり、高野連への加盟が阻まれる。すなわち一切の対外試合が禁じられ、県予選に参加することもできない。生徒たちと健聴者の教師たちが連帯し、そうした障壁を一つ一つ壊して甲子園への道を切り開いていくのが作品の 醍だい醐ご 味だ。
圧倒的な熱量 障害者と家族の 呻うめ き 共鳴するルサンチマン

差別を受ける登場人物たちの様々な困難が描かれている=©双葉社
記者は中学生の時、この作品と出会った。野球マンガの中でもひときわ印象に残っていた。野球を始めた息子たちにも読んでほしい、と今年買いそろえ、三十数年ぶりに読み直したところ、涙なしには読み進められないストーリー展開と作品が持つ熱量に終始、圧倒された。このエネルギーはいったいどこから生まれたのか?
山本さんは、制作にあたって聴覚障害者団体が蓄積した資料や本を読みあさったという。「そこには障害者本人や親たちの 呻うめ きが詰め込まれており、泣きながらページをめくった。無知の上、偏見を刷り込まれていることに無自覚だったと気づき、 慚ざん愧き の念が生じた。こうした障害者の現状を表現しなければ、との思いが作品の原動力になった」
長崎県出身の山本さんは幼い頃に両親が離婚。貧しさゆえに差別され、劣等感の塊となり、学校や大人たちに恨みと憎悪を燃やした少年時代だった。「その体験が、差別された障害者のルサンチマン(憎悪)と重なった。差別する人たちへの怒りを登場人物に託した」とも振り返る。
「障害者問題」とは?「聴こえていないのは私たち」
「無意識のうちに障害者を排除し、制度の壁を作ってしまっている」と作者の山本さんは話す=©双葉社
山本さんは、その後も「わが指のオーケストラ」と「どんぐりの家」で聴覚障害者たちを描き、多くの共感を得た。障害者運動にも身を投じて社会を動かしてきた。「遥かなる甲子園」には、健聴者が「聴こえていないのは私たち」と発するセリフが出てくる。山本さんは「問題を抱えているのは、実は私たちの社会という意味。『障害者問題』というと、障害者側に問題があるとイメージされる。しかし、生産力の有無で人間を判断し、情報や就労機会の提供などを不平等にして、健聴者が障害者の社会参加を阻んでいるのでは。こうした排除の構図は健聴者にも跳ね返ってくる」と現代にも通じる課題だと指摘する。
スポーツでありのままの自分に デフリンピックの認知度高めたい
「障害者は圧倒的な少数派。デフリンピックは定期的に存在を発信できる機会」と山本さんは盛り上がりを期待する
1924年にパリで初開催されたデフリンピックは、東京大会で100周年となる。競技種目に野球はないが、ストライク判定の際は球審がキャッチャーの肩をたたくなど、少しの配慮があれば健聴者と対等にプレーできることを同作で示している。山本さんは「野球をプレーしている間は、障害者差別や制度の壁も関係なく、一人の人間として解放されて自由な存在でいられる。スポーツへの没入は幸福感が得られる瞬間」と障害者がスポーツに取り組む意義を語る。
一方、デフリンピックはパラリンピックと比べ、まだまだ認知度や競技の魅力が低いといわれる。「 白はく杖じょう や車いすを使うとかと違い、聴覚障害はわかりにくい。身体的能力からは障害者と捉えられず、誤解を受けやすいのは昔から同じ。競技の魅力についても取り上げ方次第で、聴覚障害者のせいではない。東京大会をきっかけにメディアから地道に認知度が高まることを期待したい」。山本さんも、「遥かなる甲子園」のイラストを主催者に提供し、盛り上げに一役買うつもりだ。
ノーマライゼーションの潮流 手話の評価が激変
手話サークルで学んだ経験を持つ山本さん。「手話は健聴者の世界も広げてくれる」と多くの人に習得をすすめている=©双葉社
1981年を国連は国際障害者年と制定した。健常者と障害者が共生するノーマライゼーションの潮流が日本にも訪れ、「遥かなる甲子園」はその波を大きくする役割を担った。その後、テレビドラマ「愛していると言ってくれ」(TBS、1995年)の大ヒットなどがあり、「『手話はみっともない』とされた時代から、『手話は格好いい』と社会の意識が激変した」と山本さんは語る。
デフリンピック東京大会をきっかけに、全国の自治体で手話を言語の一つと位置づけて普及を図る「手話言語条例」制定の動きが広がっている。山本さんはかつて「遥かなる甲子園」を作り上げるために、地元の手話サークルで手話を学んだ。「聴覚障害者は、手話という言語を用いる文化的・言語的少数者という側面を強く持っている。健聴者とお互いの理解が深まるきっかけになるといい」と話す。
聴こえていないのは、果たして誰なのか? 山本さんは、「遥かなる甲子園」やデフリンピックなどをきっかけに、多くの人が立ち止まって考えることを期待している。
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