三遠・津屋一球、デフリンピック不出場へ 本人が語ったチーム専念の背景と思い

三遠・津屋一球、デフリンピック不出場へ 本人が語ったチーム専念の背景と思い

大島和人
スポーツライター
10/6(月) 7:20

津屋一球(三遠)が5日、デフリンピック不出場を表明した (C) B.LEAGUE

津屋一球(三遠)が5日、デフリンピック不出場を表明した (C) B.LEAGUE


 三遠ネオフェニックスの津屋一球(つや・かずま)選手は、まず2024-25シーズンのB1チャンピオンシップ(CS)で四強に進んだチームの主力選手だ。2025年2月のアジアカップ予選では日本代表デビューも果たしている。

 同時に彼は難聴の障害を持ち、小さな補聴器を装着しながらプレーと日常生活をしている。2018年には難聴の障害を持つ選手が参加する「U21デフバスケットボール世界選手権」に日本代表として出場し準優勝に貢献。得点王を獲得し、大会MVPにも選ばれた。

 来たる2025年11月15日には「東京2025デフリンピック」が開幕する。津屋選手は以前からこの世界大会への意欲を口にしていて、デフバスケの認知度向上や支援といった活動にも取り組んでいた。しかし10月5日の大阪エヴェッサ戦後、彼はデフリンピックへの不出場を明言している。
 

「もう出ない方向で考えています」 

 2年前の取材で、津屋はこう語っている。
 
「2025年には東京でデフリンピックが行われます。日本全国のデフ選手は、2025年に照準を合わせているはずです。日本の皆さんに見てもらえますし、見に来てくださったらきっと衝撃を受けると思います。無音の世界ですし、声が出たとしても、健常者の発声とは違ったりしますから」

「デフだけでなく、目が不自由とか、障害の種類は色々あると思います。僕が初めてデフに出会ったときのように、『自分だけではない』というのを色んなところに感じてほしいなと願っています。自分も小学校のときは『嫌だな』と思うことがほとんどでした。そういう(ネガティブな)感情が、他の人たちから少しでも無くなってほしいと願って、自分は活動をしています。『同じだな』という気づきとか、『この人が頑張っているのだから、自分も頑張ろう』と勇気をもらうとか、きっとありますよね。それを日本で広められたらなという思いです」

 しかし10月5日の試合後、彼はこう述べていた。

「僕はもう出ない方向で考えています。色々あったんですけど……、どちらかというとこちら(三遠ネオフェニックス)の方が大事だと最後は決断しました」

 彼がしばらくデフリンピックに関して発信しておらず、また大会の告知活動にも登場していなかった。そこが気になっていたので、筆者も試合後の取材でその件を確認した経緯がある。

 いわゆる「公式発表」は出ていないが、津屋選手自身のはっきりした意思表示があった。口調はやや重く背景に様々なジレンマ、葛藤があったことも想像に難(かた)くない。

 
デフリンピック不出場の理由は?

津屋はシュート、守備力に長けたSG (C) B.LEAGUE

津屋はシュート、守備力に長けたSG (C) B.LEAGUE


 津屋は190センチ・90キロのシューティングガード(SG)。父は青森県内でも知られた野球人で、兄もハンドボールのトップリーガーだった。一球選手は青森山田中入学直後、その恵まれた体格とアスリート能力から、同級生の父でもある黒田剛教頭(現FC町田ゼルビア監督)から本気でサッカー部に勧誘された逸話の持ち主だ(※中学の同級生にはDeNAベイスターズの三森大貴、ジェフ千葉の髙橋壱晟もいる)

 津屋は中2夏にバスケの強豪・弘前市立津軽中へ転校し、高校は京都の洛南に進んだ。東海大時代の2020年には、キャプテンとしてチームをインカレ制覇に導き、陸川章監督(当時)から「史上最高のキャプテン」と絶賛されたリーダーシップの持ち主でもある。

 話をデフリンピックに戻すと、津屋は不出場の理由をこう説明する。

「日本のトップリーグでやっている上で、怪我するかもしれないとか、やはりリスクはあります。そういうリスクヘッジのところに不安、物足りない感じがありました、それならこちらで自分のコンディションを整えて、このまま今のメンバーと戦った方が僕としてはプラスになるかなと思います」

 デフリンピックは国際パラリンピック委員会(IPC)の主催でなく、運営も含めて難聴の人が自分たちで切り盛りする「手作り」の大会だ。支援が潤沢というわけではなく、バスケの代表もトレーナーを置かずに活動している状況だという。

 バスケは捻挫、筋肉系のトラブルなども含めれば怪我がつきものの競技だが、直後のケアが予後を大きく左右する。プロとしてプレーする上で、コンディション管理への影響も出る。デフリンピックの大会期間は日本代表の活動期間と重なり、Bリーグの欠場試合は限定的となった可能性もあるが、「大会後」のリスクがあった。

 27歳というプレイヤーとしての最盛期に、自国で開催される巡り合わせを活かせない「寂しさ」はある。ただ、そこはプロ選手がしっかり現実と向き合って下した決断だ。
 

三遠が向き合う課題は?

三遠・大野HCも試合後にチームの課題を語っていた (C) B.LEAGUE

三遠・大野HCも試合後にチームの課題を語っていた (C) B.LEAGUE


 三遠は大阪エヴェッサとの開幕シリーズを1勝1敗で終えた。佐々木隆成、デイビッド・ヌワバと主力を欠いていたとはいえ、5日の第2戦は69-85の完敗で、チームとしての課題が強く出た内容だった。

  試合後の大野篤史HCはこう口にしていた。

「今日の前半に関しても、もうエンド・オブ・ゲーム(終了間際)みたいに、焦って得点が欲しい欲しい……となってしまっていました。まだ20分以上あるのに、その先にどうなっているかにまだ目が向けられていなかった。オフェンスだったらボールをしっかり回していくところがまだできなくて、個々で打開しようとする。ディフェンスでは不必要なリーチをしてファウルを取られたり、アタックされたりしている。我慢強さが、まだまだ足りないかなと思っています」

 津屋はこう述べていた。

「昨日(4日)のゲームも勝ったとはいえ反省点が多くて、修正がゲーム中にできたんですけど、2試合目はそれができなかった。一番の敗因は僕らスタート5人の出だしの悪さです。セカンドユニットは若手になってくるので、そこに負担をかけ過ぎた責任を感じています」

 点差が開いたところに若手中心のセカンドユニットが登場し、立て直せず更に歯車が狂ってしまうーー。10月5日の大阪戦はそのような展開だった。

2025-26シーズンをどう戦うか? 

 不在の佐々木、ヌワバはいずれも圧倒的なアスリート能力を持ち、三遠らしい速攻の先頭に立つ選手。彼らが不在の中でチームは「次善の策」を探らねばならない。

 津屋はこう続ける。

「もちろん三遠らしい、スピーディーなバスケもしますが、よりクレバーに戦う必要があります。落ち着いていいスペーシングを取るのか、誰をどう活かすのか、より明確な判断が必要になります。それが本当にかみ合ってきたとき、スピードだけでなく、もっと落ち着いたプレーも増えていくと思います」

 自身の役割についてはこう述べる。

「シュートを決め切るところもそうですけど、誰がボールをもらうべきか、誰に攻めさせるべきかも考えて、いいスペーシングを取るのが今の僕の役目です」

 今後の抱負についてこう語ってくれた。

「デフもBリーグも、カテゴリーは違っても『何かを感じ取ってほしい』という思いがあります。一試合一試合を本当に大事に僕らはしていますし、準備から相手をどう倒すかしか考えていません。ファンの人たちもそこにしっかり乗っかってきてほしいです。(CSのセミファイナルで惜敗した)昨シーズンの悔しさがあるので、絶対またそこには立ちたい。より強い三遠を、ブースター含めて一緒に作り上げられたらなと思います」


大島和人
スポーツライター
Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。


リンク先はYahoo!JAPANニュースというサイトの記事になります。


 

Back to blog

Leave a comment